【第1ターミナル】
○ 羽田航空神社
〇 虚空 奥田伸世
〇 展望デッキ(6階)
〇 屋上展望デッキ「GULLIVER'S
DECK」
【第2ターミナル】
〇 スカイデッキ
・MOOON
・パネル展「知ってびっくり!船と港のものしり博士」
・パネル「Attic
Charles & Amelia」
〇 星屑のステージ
【第3ターミナル】
〇 江戸舞台
〇 はねだ日本橋
〇 お祭り広場
〇 展望デッキ
【ターミナル間移動】
天空橋駅前交通広場に、説明板「羽田空港の歴史と発展」が掲示されています。
(説明板)
「羽田空港の歴史と発展
日本飛行学校の設立と東京飛行場の開場
この地に空港ができることになったのは、1916年(大正5)に羽田に日本飛行学校と飛行製作所が設立されたことがきっかけでした。
1931(昭和6)年には、東京飛行場が開港され、民間飛行場として国内・大陸定期便、遊覧機などが飛び交うようになりました。しかし、1941(昭和16)年に太平洋戦争が開戦されると、東京飛行場は軍の基地としての役割も増していきました。
戦後の空港接収と返還
東京飛行場は、戦後、連合国軍によって接収され、ハネダ・エアベースが建設されました。
1952(昭和27)年に日本側に一部返還され、「東京国際空港」(通称、羽田空港)となりました。当時はまだ米軍が空港を一部使用することもありましたが、1958(昭和33)年に全部返還となりました。
羽田空港は、騒音問題や発着容量の解消のため、数次にわたる沖合展開事業の中で拡張を続け、進化してきました。現在は4本の滑降路を有し、国際線も再開されるなど、日本を支え、日本と世界をつなぐ大切な役割を果たしています。 大田区」
「東洋ーの羽田東京飛行場」(最新日本写真大観 忠孝之日本社 昭和6年 国会図書館蔵)
標識文字「トウキヤウ」が見えます。
右上の女性は、ベルリンンからの飛行場開場第一の外来者ドイツ女流飛行家エッツドルフ嬢です。
帝国飛行協会(橋本圭三郎副会長)から有効章を授けられている写真です。
エッツドルフ嬢は1931年8月18日にベルリンを出発し、1931年8月29日に東京飛行場(8月25日開場)に着陸しました。
「東洋ーの羽田東京飛行場」(最新日本写真大観 忠孝之日本社 昭和6年 国会図書館蔵)
左上は東京飛行場と大連間の飛行郵便。右上は国産中島式ブレーゲー旅客機、
左下は富士山を眼下に飛行する旅客機。右下は東京航空輸送社のエアーガール。
「大東京 帝都空の玄関羽田飛行場の壮観」(絵葉書 都立図書館蔵)
<ニッポン号世界一周>
昭和14(1939)年、毎日新聞社(当時東京日日、大阪毎日)の双発機ニッポン号が世界一周飛行を達成しました。
「ニッポン」は、8月26日に東京飛行場を出発、10月20日に東京飛行場に帰還しました。(詳細はこちらで記載)
「ニツポン世界一周大飛行の意義」(世界交通文化発達史 東京日日新聞社 昭和15年 国立国会図書館蔵)より抜粋
昭和14年8月3日「ニッポン」命名式当日
東京飛行場内東京日日新聞社格納庫前で命名式が行われました。
東條英機航空総監の姿も見えます。
昭和14年8月26日「ニッポン」は東京飛行場を出発。
円内上が毎日新聞社「ニッポン」、円内下がニッポンを送る朝日新聞社の「朝風」です。
約3万人の市民が東京飛行場で見送りました。
10月20日、東京飛行場に帰還する「ニッポン」です。
東京飛行場には、十数万人の人々が出迎えました。
「航空神社」と書かれた案内表示から通路に入り、右手に曲がると左奥に「羽田航空神社」はあります。
境内は会議室の一画といった風情です。
昭和30(1955)年に羽田空港旧ターミナルビルが穴守稲荷の本殿跡に建設され、屋上に「穴守稲荷空港分社」が祀られていました。
昭和38(1963)年7月11日に、財団法人日本航空協会の航空神社より分霊を勧請し、「羽田航空神社」が旧ターミナルビル屋上に創建されました。
2つの祠は隣り合って祀られていました。
平成5(1993)年の新ターミナルビルの供用開始に際し、「羽田航空神社」は新ターミナルビル1階に遷座、「穴守稲荷空港分社」は穴守稲荷本社に合祀されました。
(説明板)
「羽田航空神社由緒
ここ東京国際空港は昭和六年東京飛行場として発足以来紆余曲折を経て今日我国空の表玄関として運輸交通の発展のため重要な使命を果たしております
予てより我国航空界に携る人々の間において航空に最も縁の深いこの羽田の地に航空界発展の礎となられた諸々の御霊をお祀し今後の航空界の躍進と航空安全輸送の御加護を祈念したいとの気運がありこの度東京国際空港ターミナルビル増改築工事を機縁として空港全域を見守るに最も相応しいこの場所を神域と定め昭和三十八年七月十一日財団法人日本航空協会の航空神社より御分霊を勧請し奉斎申し上げて羽田航空神社を建立致した次第であります
なお毎年五月二十日を例大祭日と定め祭事を執り行います
敬白」
1階からエレベーターに乗って、展望デッキのある6階で下りると、
エレベーターホール前のスカイギャラリーにメタルワーク「虚空 奥田伸世」が展示されています。
6階の展望デッキからの光景です。
〇屋上展望デッキ「GULLIVER'S DECK」(ガリバーのデッキ)
6階の展望デッキから外階段で屋上に上がると、
屋上は展望デッキ(ガリバーのデッキ)となっています。
(説明板)
「TOP OF HNNEDA GULIVER'S DECK ガリバーのデッキ
離発着をくりかえす、たくさんの飛行機
遠くには、ミニチュアのように並ぶ都心のビル群
巨大都市「東京」の大パノラマと、絶え間ない鼓動
まるで、自分が小人の世界を旅するガリバーになったかのような
そんな風景が眼下に広がっています」
ガリバーのデッキからの光景
展望デッキのある5階のスカイデッキです。
「MOOM」ではなく「MOOON」です。
「むううん?」「もおおん?」何と読むのでしょうか。
月の形の角を持つ青い牛です。首には流れ星が見えます。
(パネル)
「千住博「MOOON」(2004年)
太古の昔、月の形に似た角を持つ牛は、天体の運行を司る使者として、人々から崇められていた。今、このターミナルの作品「MOOON」は、宇宙を仰ぎ、空を見つめ、守護神としてあなたの旅の平安を祈っている。」
令和7年7月11日から7月27日までで展示されていました。
毎年の企画のようです。
屋内展望フロアもありますが、屋外の展望デッキ「Attic
Charles & Amelia」に出ます。
大西洋無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグとアメリア・イアハートに由来しています。
(パネル)
「Attic Charles & Amelia
ライト兄弟が初飛行に成功したのは1903年。1927年には、チャールズ・リンドバーグが大西洋無着陸飛行に成功。
アメリア・イアハートが女性として初めて大西洋無着陸飛行に成功したのが1932年。
空を飛ぶということはいつも人類の憧れでした。時は経ても、その空への憧れを持ち続け、宇宙からのロマンを感じていたい......。
そんな私たちの願いをこめた屋上“Attic Charles & Amelia”には「星屑のステージ」と「虹のオーロラのステージ」をご用意しました。
幻想的な光を眺めながら、ロマンチックなひとときをお楽しみください。」
〇展望デッキ 5階
展望デッキ「星屑のステージ」は、約4000個のLEDが床一面にちりばめられています(点灯時間:日没〜22:00)。
4階には「江戸小路」があり、飲食店とお土産屋さんが並んでいます。また「江戸舞台」があります。
5階には「はねだ日本橋」と「お祭り広場」があります。
5階から屋外に出ると「展望デッキ」です。
「洛中洛外図屏風」(舟木本)(複製)
「江戸舞台」に展示されています。
期間限定の公開です。2025年5月29日〜8月下旬(予定)
江戸時代の京都の中心部を、南から眺めた風景が描かれた作品です
吉野産の総檜造りで、幅・長さとも当時の日本橋のおよそ半分のサイズで復元されています。
壁面には「江戸図屏風」から陶板壁画で表現しています。
「旅立ちは 昔も今も 日本橋」
(説明板)
「はねだ日本橋
日本橋(東京都中央区)が架けられたのは、1603年(慶長8年)といわれており、「はねだ日本橋」では19世紀前半の日本橋をベースに復元しました。
※橋の大きさ【全長14間(約25.5m)、幅2間1尺(約4m)】日本橋の半分の大きさにて復元。
復元にあたっては、「東京都江戸東京博物館 復元日本橋」や書籍「復原・江戸の町」を参考にし、詳細デサインにおいては、江戸小路の町並みに合わせたオリジナルデザインとしています。」
(説明板)
「「江戸図屏風」 〜江戸の町の賑わい〜
国立歴史民俗博物館所蔵「江戸図屏風」より各名所を取り上げ、江戸の町の賑わう様子を陶板壁画にて表現していす。
「江戸図屏風」は江戸時代初期の江戸市街地および近郊の景観を画題として、そのなかに江戸幕府第三代将軍徳川家光の事蹟を描き込んだ、六曲ー双の屏風。成立期江戸の景観を描いた数少ない史料のひとつである。」
櫓のある「お祭り広場」です。
(掲示)
「幸せの 羽田空港 大絵馬 開運招福 厄疫退散」
「みんなでがんばろう!
みんなで笑顔になろう!
コロナ禍で世界中の空が変わりました。毎日のように沢山の国と国を繋いでいた大きな翼は、ある日、驚くほど小さなウイルスの為に飛べなくなりました。
愛するあの人にすくに会いたいのに。
会えるはすの翼が飛べない。
多くの人が苦しみ、悲しみました。
どうしたら、みんなの心を癒せるのだろう。どうしたら、みんなが少しでも笑顔になれるのだろう。願いと祈りは、空に届くのだろうか。
日本に古くから伝わる「絵馬」。人々の祈りと願いを八百万の神様達に伝える物です。この絵馬は、天然木曽檜から作れています。伊勢神宮のお宮などでも使われている、最高級の物です。
貴重で尊い檜の命を戴き、絵馬に開運招福、厄疫退散を込めて絵馬師、永崎ひまるが描いています。
日本の皆さま、世界の皆さま、航空業界の皆さま。手を取り合ってこの危機を乗り越えてがんばりましょう。
いつか、以前と変わることなく、世界中の愛する人の笑顔に思い立ったらすぐ行ける、あの翼を取り戻すために。
絵馬師・永崎ひまる
作家プロフィール
絵馬師・永崎ひまる
絵馬師として、初めて平成27年度神道文化賞を受賞。
伊勢神宮崇敬会・開運絵馬、出雲大社令和開運絵馬大国主大神と鼠、宗像大社世界文化遺産登録記念大絵馬、霧島神宮造営300年記念和紙絵馬、乃本神社正月大干支絵馬、甲斐国一宮浅間神社御鎮座1150年大絵馬、万九千神社遷宮特別大絵馬、東京大神宮令和記念絵馬、神田明神だいこくさま大絵馬など様々な神社などにこ奉納。絵馬の文化の伝統を守り、可能性を広め、人々の心の癒しになるような絵馬を描き続けたいと思っている。」
「木札販売機」
木札の自販機が設置され、壁一面に木札が奉納されています。
第3ターミナルの展望デッキは、24時間開放されています。
ターミナル間移動には無料連絡バスが便利です。日中は4分間隔で運行しています。
また、第1ターミナル・第2ターミナル間の移動には、地下連絡通路が利用できます。長さは約400メートルあります。
連絡通路の工事により動く歩道が利用できなくなっているので歩いての移動となります。