〇 平野耕地
〇 くるまやラーメン由来の地
〇 平野交差点
〇 バス停「平野町」
〇 平野神社
〇 道海道 別頁
平野の地名の由来は、江戸時代に周辺各村が開拓した「平野耕地」に由来します。
平野耕地は各村の飛び地の集まりでした。
足立区が成立するまで島根・栗原・六月・竹塚の小字名として平野がありました。
昭和41(1966)年10月1日に東島根町・東栗原町・小右衛門町・竹塚町・六月町の一部から平野一〜三丁目が設置されました。
昭和45年頃、足立区平野の国道4号で、観光バスを改造してラーメン屋を始めたのが、現在の「くるまやラーメン」です。
国道4号線と環七北通りが交差するのが平野交差点です。
国道4号線にある都バスのバス停「平野町」です。
上り(足立区平野2-10)
下り(足立区六月1-1)
<平野神社の由来>
享保5(1720)年に平野郷の守護神として庚申堂が創建されました。
昭和39(1964)年に現在地より50mほど北から、現在地に移りました。
昭和56(1981)年に三重県伊勢市の猿田彦神社を勧請して平野神社として創建されました。
現在の社殿は平成3(1991)年の落成です。
西之宮稲荷神社の兼務社となっています。
<平野神社由来>
掲示板が被さっており、読めません。
<記念碑>
(碑文)
「記念碑
平野神社は享保五年(一、七二〇)当地の中心に鎮座され平野郷の守護神として古くから里人の厚く信仰するところなり 代々の氏子総代これを維持し幾多の変遷を経て戦後責任総代・遠山久蔵・豊田恒夫・鴨下次男三氏の尽力により昭和三十九年坂田藤吉氏より用地売買に依り土地提供を受け氏子各位の浄財の寄進を受け旧社殿を造営した 昭和五十七年神輿 曳き太鼓を購入するとともに 顧問 総代長、総代 世話人等の役員を置き 神社の祭祀 及び守護財産維持管理運営 運営その他の業務を行なう目的をもって 平野神社奉賛会を結成し 其の後社殿の老朽化が甚だしく平成元年頃より神社総代 世話人会を再々開催し改築造営することが決議され此処に氏子各位の賛同を得平野神社建設委員会が結成され 氏子各位の浄財を仰ぎ新社殿が竣工されました 平成三年九月吉日御遷座祭が斎行されました
平野神社建設委員会」
<石塔群>
社殿右手に石塔群があります。
<普門品一千部供養塔>
弘化4(1847)年銘の普門品供養塔です。
<不動明王道標>
不動明王坐像が陽刻された道標です。
文久2(1862)年銘です。
不動明王の下に童子が陽刻されているのは初めて見ました。
(正面)「左 成田(山)」
(左面) 紀年
(右面)「右 竹之塚 八丁」
<庚申塔>
文化14(1817)年「平野講中」造立の庚申塔です。
<庚申塔/庚申塔>
左は享保年間(1716-36年)の庚申塔です。
右は安永4(1775)年銘の庚申塔です。
<猿田彦神社参拝記念碑>
<平野町会会館>
「平野町会会館落成記念碑」(昭和五十九年九月)