保土ヶ谷一里塚の後ろの仙人橋を渡ると、その奥に外川神社が祀られています。
(説明板)
「外川神社御由緒
江戸時代から保土ヶ谷宿の内に出羽三山講がありました。幕末の頃、その講元で先達でもあった清宮與一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)に祀りました。
はじめ外川仙人大権現と称しましたが、明治二年の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社と改めました。その神験は著しく、ことに小児の虫封じや航海の安全に御利益があったとして、遠近から参詣する者が絶えませんでした。(以下略) 社務所」
<手水鉢>
<社号標>
「外川神社 開山主清宮與一茂徳命 川崎講社会」「外川神社 開山主清宮與一茂徳碑 日本永續講社中」
「外川椙社」「外河山仙人」
<拝殿/本殿>
<道祖神社>
<稲荷社>
<小寿鶏放翔感謝之碑>
昭和36(1961)年建立の黒田長種理学博士揮毫の「小寿鶏放翔感謝之碑」があります。
大正11(1922)年、上海から輸入した小寿鶏が保土ヶ谷の県立鳥獣飼養所から逃げて全国で繁殖し、雑誌「狩猟界」が創立5周年に建立したものです。
横浜市のサイトによると、保土ケ谷は出羽三山講が盛んで区内には5基の供養塔があるとのことです。
今井川沿いに文化7(1810)年銘の出羽三山供養塔があります。
(正面) 月山 湯殿山 羽黒山 供養塔 天下泰平 國土安全
(左側面) 経文が刻まれています。
(右側面) 東叡山御持 羽黒山正穏院講中 山先達
長傅坊 大乗院 本覚院 法隆院
(裏面) 文化七庚午年三月吉祥 再建 保土ヶ谷宿
願主 複数人名
<他>