Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 KITTE丸の内

  〇 インターメディアテク
  〇 旧東京中央郵便局長室
  〇 屋上庭園「KITTEガーデン」
  〇 郵政創業150年記念ポスト 別頁


〇インターメディアテク 千代田区丸の内2-7-2 KITTE2・3階 050-5541-8600 休館月曜 HP

 「インターメディアテク」は、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働で運営するミュージアムです。
 2013年3月に丸の内JPタワー内KITTEの2・3階にオープンしました。東京大学が蓄積してきた学術標本が展示されています。
 日本郵便株式会社の社会貢献事業として入館料は無料です。
 写真撮影可だったのも良かったです。
 色々な方々がそれぞれの視点で見学するから、見学した方々の写真入りのブログは参考になります。

   

    

<マチカネワニ>

 45万年前のワニの標本レプリカ「マチカネワニ」です。
 館内に入ってすぐの広間に飾られてます。

  

<伝アインシュタイン・エレベーター>
 
 アインシュタインは乗っていないのに、なぜか名前がついているエレベーターです。
 本郷で「伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置」を見て(こちらで記載)、こちらに展示されているカゴも見たかったのです。

(説明板)
「伝アインシュタイン・エレベーター
 アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)が乗ったと伝えられるエレベーターである。アインシュタインは、1922(大正11)年の11月17日から12月29日までの一ヶ月半、改造社の招聘により日本に滞在した。その頃すでに相対性理論によって広く知られ、また来日直前に「光量子仮説」によりノーベル物理学賞受賞が決まったアインシュタインは、日本各地で熱狂的な歓迎を受け、数多くの講演を行った。東京帝国大学では11月25日から12月1日にかけて、計6回の特別講義が開催され、理学部物理学教室中央講堂で約130人の研修者から聴講した。東大滞在中は物理学の田中舘愛橘名誉教授(1856-1952)の元研究室が控え室として使われていたという。物理学教室の中央講堂や田中舘の研究室があった理科大学本館は、1923(大正12)年9月の関東大震災により崩壊し、アインシュタインゆかりの場所はすべて消え失せてしまったのである。その後、岸田日出刀(1899-1966)が設計した理学部旧1号館は、1924(大正13)年6月に着工し、1926(大正15)年3月に竣工した建物であり、アインシュタインがこのエレベーターに乗ることはなかったはずである。この昇降機が「アインシュタイン・エレベーター」と伝えられてきた理由は定かでない。アインシュタインの一般相対性理論の基本となる等価原理は、エレベーターの思考実験から着想された。彼自身が「人生最高の思いつき」というこの大発見が、理学部最古の建築遺産の一つである旧1号館のエレベーターに結びつけられ、アインシュタイン来日の歴史的記憶を伝える象徴として伝説化されたものかもしれない。本体はエレベーター・カンパニー日本支社(現・日本オーチス・エレベーター)によるギア駆動のエレベーターである。電動モーターがギヤの減速装置を駆動し、巻き上げプーリーにワイヤを巻き取ってカゴを昇降させる。伸縮式の二重の鉄扉を手で開いて乗り込む昔ながらのスタイルで、スピードもゆっくりしたものであった。理学部1号館の3期工事にともない旧1号館が取り壊しとなるため、総合研究博物館がエレベーターを保存することになった。」

   

<ベルツ博士>

 多くの標本の他、肖像画や胸像も多く展示されています。
 当然ながらベルツ博士の肖像もありました。

   

<パンフレット>

    

   

<3階からの眺望>

  

<胸像>

「瀧精一胸像
 瀧精一(1873〜1945年)は文学部教授。日本画家瀧和亭の長男として、東京に生まれた。1897年に文科大学を卒業し、大学院に進んで美学を専攻。1901年から美術雑誌『国華』の主幹を務める。14年、教授となり、新設された美学美術史第二講座を担任、日本美術史を講じた。27年から文学部長を務め、34年に退官した。」

    

「呉秀三胸像
 呉秀三(1865〜1932年)は江戸後期の洋学者・医師であった箕作阮甫の孫で、蘭学者呉黄石の子。クレペリンの臨床精神病理学をわが国に導入したことで知られる。1890年に帝国大学医学部を卒業。榊俶のもとで精神病学を学び、96年に助教授となり、翌年から、ドイツ、オーストリア、フランスに留学した。1901年から25年まで、教授として精神医学教室を主宰した。」

   

「浜田玄達先生」
 1888-1900とプレートにありますが、これは帝国大学での在任期間です。

  

「榊俶胸像
 榊俶(1857〜1897年)は帝国大学医科大学の精神病学講座初代教授。1880年、旧東京大学医学部を卒業後、眼科に勤務したが、82年に精神病学講座開設準備のためドイツ留学を命じられた。ヨーロッパ各国の精神科医療を学び、86年に帰国。同年開設された精神病学講座の教授に就任した。東京府癲狂院(1889年東京府巣鴨病院と改称)の医長も兼任し、これを臨床実習病院とした。」

   

「加藤弘之胸像 ※朝倉文夫作(1915年)です。
 加藤弘之(1836〜1916年)は1887年、東京大学創立時に法理文三学部綜理となり、1881年の改正で、大学全体を管理する総理、さらに、90年に帝国大学総長となった。但馬国出石に生まれ、藩校弘道館に学んだあと、江戸に出て、佐久間象山、ついで蘭医大木仲益に就いて学ぶ。1860年、蕃書調所教授手伝となり、維新後も、大学大丞、外務大丞などを歴任した。」

   

「近代日本人の肖像」(国立国会図書館)

   

「加茂正雄胸像
 加茂正雄(1876〜1960年)は工科大学および工学部機械工学科教授。1898年に機械工学科を卒業、直ちに助教授となった。1906年からアメリカ、イギリス、フランス、ドイツに留学、12年に帰国すると教授となり、船用機関学第二講座を担任した。21年から37年に退官するまで、熱機関を内容とする機械工学第一講座を担任した。」

   

「井口在屋胸像
 井口在屋(1856〜1923年)は工科大学機械工学科教授。1876年に工学寮に入り、82年に工部大学校機械科を卒業した。直ちに助教授となり、94年から96年までイギリスに留学した。帰国後、工科大学教授となる。」

   

「長与又郎像
 長与又郎(1878〜1941)は明治11年東京都生まれ。医学者長与専斎の三男であり、作家の長与善郎は末弟。1904年に東京帝国大学医科大学を卒業。ドイツに留学後、1907年に病理学教室講師となる。1910年に第一講座に移った山極勝三郎の後を受け、第二講座を助教授として担任する。1911年より教授となり、1934年まで務めた。1935年に総長に就任した。」

   

「三浦守治像
 三浦守治(1857〜1916)は、安政4年磐城国御木沢村に生まれ。1881年に東京大学医学部卒業。1882年ドイツのライプツィヒ大学、ベルリン大学に留学し、病理学を研究した。1887年に帰国し、病理学教室教授となる。」

   

「弘田長像
 弘田長(1859〜1928)は安政6年土佐国中村生まれ。1880年に東京大学医学部を卒業。1881年に熊本県立医学校教諭となり、1883年からは同校校長と附属病院長を務めた。1884年に退職し、1885年から1888年までドイツドイツのストラスブルク大学に留学した。帰国後、初めての小児科専門医として医科大学教授となり、1921年に退官。」

   

「チャールズ・ディッキンソン・ウェスト像
 チャールズ・ディッキンソン・ウェスト(1847〜1908年)は工部大学校のアイルランド人教師。ダブリンに生まれ、ダブリン大学トリニティ・カレッジで機械工学を修め、1869年卒業。五年余り英国のベルケンヘット製鉄場で働いた。造船の知識をこの時に得ている。工部大学校都検ヘンリー・ダイヤーの後任として、1882年に来日し、機械工学とともに造船学も教えた。そのまま日本に留まり、1908年に没した。」

   


〇旧東京中央郵便局長室 千代田区丸の内2-7-2 KITTE丸の内4階 HP
 
 「KITTE丸の内」4階に「旧東京中央郵便局長室」があります。
 床やガラス窓などに当時の素材を使用し、一部が再現されています。
 窓からはJR東京駅丸の内駅舎がよく見えます。

    

    

   

(説明板)
「旧東京中央郵便局長室
 この旧東京中央郵便局長室は、歴史的建造物の保存とあわせ、東京中央郵便局の歴史を継承する空間として、1931年の創建当時の雰囲気が感じられるよう、内装を保存・再現することにしました。(以下略)」

  

<郵便局長室からの眺望>

   

「大東京名所繪はがき集 東京中央郵便局」(主婦之友社 1932年 都立図書館蔵)

 竣工翌年の昭和7(1932)年出版の絵葉書にある「東京中央郵便局」です。

  

「幕末・明治・大正回顧八十年史第16輯」(東洋文化協会 昭和11年)

 東京駅と中央郵便局の間に郵便物を搬送するための地下隧道があり、上下2線の軌道を電気機関車が郵便物を搬送していました。
 竣工は東京駅開業の翌年、大正4(1915)年3月で、昭和2(1927)年に開業した上野・浅草間の地下鉄より早い地下軌道でした。

  


〇屋上庭園「KITTEガーデン」 千代田区丸の内2-7-2 KITTE丸の内6階 HP

 「KITTE丸の内」6階に、屋上庭園「KITTEガーデン」があります。
 約1,500�uのスペースを有する庭園です。

    

 JR東京駅丸の内駅舎を一望できるビュースポットです。

     


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