「インターメディアテク」は、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働で運営するミュージアムです。
2013年3月に丸の内JPタワー内KITTEの2・3階にオープンしました。東京大学が蓄積してきた学術標本が展示されています。
日本郵便株式会社の社会貢献事業として入館料は無料です。
写真撮影可だったのも良かったです。
色々な方々がそれぞれの視点で見学するから、見学した方々の写真入りのブログは参考になります。
<マチカネワニ>
45万年前のワニの標本レプリカ「マチカネワニ」です。
館内に入ってすぐの広間に飾られてます。
<伝アインシュタイン・エレベーター>
アインシュタインは乗っていないのに、なぜか名前がついているエレベーターです。
本郷で「伝アインシュタイン・エレベーターの昇降装置」を見て(こちらで記載)、こちらに展示されているカゴも見たかったのです。
(説明板)
「伝アインシュタイン・エレベーター
アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)が乗ったと伝えられるエレベーターである。アインシュタインは、1922(大正11)年の11月17日から12月29日までの一ヶ月半、改造社の招聘により日本に滞在した。その頃すでに相対性理論によって広く知られ、また来日直前に「光量子仮説」によりノーベル物理学賞受賞が決まったアインシュタインは、日本各地で熱狂的な歓迎を受け、数多くの講演を行った。東京帝国大学では11月25日から12月1日にかけて、計6回の特別講義が開催され、理学部物理学教室中央講堂で約130人の研修者から聴講した。東大滞在中は物理学の田中舘愛橘名誉教授(1856-1952)の元研究室が控え室として使われていたという。物理学教室の中央講堂や田中舘の研究室があった理科大学本館は、1923(大正12)年9月の関東大震災により崩壊し、アインシュタインゆかりの場所はすべて消え失せてしまったのである。その後、岸田日出刀(1899-1966)が設計した理学部旧1号館は、1924(大正13)年6月に着工し、1926(大正15)年3月に竣工した建物であり、アインシュタインがこのエレベーターに乗ることはなかったはずである。この昇降機が「アインシュタイン・エレベーター」と伝えられてきた理由は定かでない。アインシュタインの一般相対性理論の基本となる等価原理は、エレベーターの思考実験から着想された。彼自身が「人生最高の思いつき」というこの大発見が、理学部最古の建築遺産の一つである旧1号館のエレベーターに結びつけられ、アインシュタイン来日の歴史的記憶を伝える象徴として伝説化されたものかもしれない。本体はエレベーター・カンパニー日本支社(現・日本オーチス・エレベーター)によるギア駆動のエレベーターである。電動モーターがギヤの減速装置を駆動し、巻き上げプーリーにワイヤを巻き取ってカゴを昇降させる。伸縮式の二重の鉄扉を手で開いて乗り込む昔ながらのスタイルで、スピードもゆっくりしたものであった。理学部1号館の3期工事にともない旧1号館が取り壊しとなるため、総合研究博物館がエレベーターを保存することになった。」
<ベルツ博士>
多くの標本の他、肖像画や胸像も多く展示されています。
当然ながらベルツ博士の肖像もありました。
<パンフレット>