Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 南品川宿 海徳寺


○自覚山松陽院海徳寺 品川区南品川1-2-10

 自覚山松陽院海徳寺と号します。
 大永2(1522)年、鳥海和泉守が出家し自宅を寺としたといい、松陽院日増が開山したといいます。
 御札の板木が保存されています(品川区文化財)。

「江戸名所図会 貴船明神社」

 海徳寺部分の抜粋です。貴船明神社とともに、海徳寺も描かれています。
 海徳寺の境内には淡島社も描かれています。

  

「江戸切絵図」

 天王社や「海徳寺」が見えます。

  

<参道>

 旧東海道から参道に入ります。

   

 境内に入ると、左手に「南無妙法蓮華経」。

  

 無縁塔

   

<筆塚>

 参道右手に「筆塚」。
 「日本書鏡院 平成元年五月建立」

   

<軍艦千歳殉難者之碑>

 明治39(1906)年12月9日、品川沖に停泊していた軍艦「千歳」への通船が突風のため転覆し、
 「千歳」の乗組員65名・見送人15名の計83名が亡くなるという事故が起こりました。
 亡くなった人々のために海徳寺で大法会が催され、大正8(1919)年13回忌のときにこの碑が建立されました。
 揮毫は海軍大将山屋他人、後に「千歳」の艦長を務めた人です。
 碑の傍らには、大砲の砲身が置かれています。

   

<鐘>

<海徳寺板木>

(説明板)
「品川区指定有形民俗文化財 海徳寺板木 二十枚
  所在 南品川一丁目二番十号
  指定 昭和五十六年二月十二日(第十三号)
 古来各寺院は、参詣者に各種神仏の御影や御札を配布することが多く、それらを摺るための板木を所有していた。しかし板木は使用されているうちに摩耗し、使用できなくなると廃棄されたので、現存するものは少ない。
 本寺は江戸時代から旧品川宿に住む檀徒に各種の護符を配布しており、それに使用した板木が二十枚残されている。
 その種類は、大黒天・鬼子母神・淡島尊天・妙見菩薩・清正公・三宝荒神など、江戸時代から大正頃までの民間信仰の御札の板木である。
 これらの板木は、かつての品川地域の民間信仰の様相を伝えるものとして貴重である。
  平成十六年三月三十一日 品川区教育委員会」

  

<釈迦生誕像>

 本堂右手に彫刻家、長谷川昂氏の「釈迦生誕像」が祀られています。

  

<水子地蔵、浄行菩薩、誠和地蔵>

  

ホームラン地蔵>

 王貞治選手が新人の頃、心臓病の少年にホームラン王になることを誓いました。
 少年は残念ながら亡くなりましたが、王氏は度々少年の墓を参り、ホームラン世界記録を樹立した時にも報告に訪れました。
 右手に錫杖の代わりにバットを、左手に如意宝珠の代わりにボールを持った地蔵像が少年の墓(和夫地蔵尊)です。

  

<本殿>

 寛延4(1751)年に造営された本殿です。

    

<北門>

 目黒川に面した北門です。

  


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