Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 金沢道(保土ヶ谷区)

 金沢道は、東海道保土ヶ谷宿の金沢横町から金沢の六浦陣屋へ至ります。
 金沢からは鎌倉へ通じるため、金沢鎌倉道とも呼ばれます。
 金沢からさらに浦賀に向かう路程もあり、金沢・浦賀往還道とも呼ばれます。

  ○ 金沢横丁
  ○ 金沢横町道標
  ○ 上岩間踏切
  ○ かなさわ・かまくら道案内板
  ○ 福聚寺の山門
  ○ いわな坂
  ○ 御所台地蔵尊
  ○ 御所台の井戸(政子の井戸)
  ○ 北向地蔵


金沢横丁 横浜市保土ケ谷区帷子町2-106

 東海道の帷子町にある標柱「金沢横丁」です。
 金沢道の始点となります。

(標柱)
「歴史の道 金沢横丁
 かなざわ・かまくら道←
 ←道標四基8m
 ←政子の井戸300m
 ←北向地蔵590m
 旧東海道←→
 ←本陣跡200m
 問屋場跡→150m
 旧帷子橋跡→1050m
 平成23年3月保土ヶ谷区役所」

    


金沢横町道標 横浜市保土ケ谷区帷子町2-71

 東海道から「かなざわ・かまくら道」への分岐点に四基の道標が設置されています。

  

(説明板)
「横浜市地域有形民俗文化財 金沢横町道標四基
  平成元年十二月二五日 登録
 この地は、旧東海道の東側で、金沢・浦賀往還への出入口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれました。 金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、 道標として四基が建立され、現在残っています。
 四基の道標は、それぞれ次のとおりです。(右側から番号を付す)
@円海山之道〔天明三年(一七八三)建立〕
 左面に「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻されています。建立者は保土ヶ谷宿大須賀吉左衛門です。 円海山は「峯のお灸」で有名でした。
Aかなさわ、かまくら道〔天和二年(一六八二)建立〕
 左面に「ぐめうし道」と刻されています。
B杉田道〔文化十一年(一八一四)建立〕
 正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻されています。句碑を兼ねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で河東節の家元です。
C富岡山芋大明神社の道〔弘化二年(一八四五)建立〕
 建立者は柳島村(現茅ヶ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺で、ほうそうの守り神として信仰を集めていました。
  平成三十年三月 横浜市教育委員会」

  

 左から記載します。

 弘化2(1845)年銘の長昌寺(富岡)への道標です。
 (正面)「ほうそう守神 富岡山芋大明神江乃道 是与里行程 三里」

  

 文化11(1814)年銘の其爪が杉田梅林を詠んだ句が刻まれた杉田道の道標です。
 (正面)「程ヶ谷の 枝道曲れ 梅の花 其爪」
 (左面)「是ヨリ 杉田道」

   

 天和2(1682)年銘の弘明寺への道標です。
 (正面)「是よ里 か奈さわ可満久ら道」
 (左面)「久"めうし道」

   

天明3(1783)年銘の護念寺がある円海山への道標です。
 (正面)「圓海山之道」
 (正面左)「かなさ王 かまくらへ通りぬけ」
 (正面右)「武州 峯村 道法 三里余」
 (右面)「是より ゑんかいさんみち」

   


上岩間踏切 横浜市保土ヶ谷区岩井町50

 金沢道を東海道から折れると、横須賀線及び東海道線の「上岩井踏切」に出ます。

    

かなさわ・かまくら道案内板 横浜市保土ケ谷区岩井町63

 国道一号線に交差すると、「いわな坂」への登り口に、案内板「かなさわ・かまくら道」(平成16年3月保土ヶ谷区役所)が設置されています。

(案内板)
 「歴史の道 ←かなさわ・かまくら道→
  ↑政子の井戸  150m
  ↑北向地蔵   450m
  ↓金沢横町道標 150m
  ↓旧東海道   150m
   平成16年月 保土ヶ谷区役所」

     


福聚寺の山門 横浜市保土ケ谷区岩井町56

 坂を登ります。左手に、福聚寺への参道階段があります。

   


いわな坂 横浜市保土ケ谷区岩井町67

 標柱「いわな坂 平成十六年三月 横浜市」があります。
 「いわな坂」は、漢字で書くと「石名坂」「磐名坂」「石難坂」と諸説あります。
 この標柱は、横浜市保土ヶ谷区のサイトを見ると、「愛称ポール」だそうです。

      坂下方向                      坂上方向
     


御所台地蔵尊 横浜市保土ヶ谷区岩井町62

 いわな坂の途中左手、さらに石階段を上がった先に御所台地蔵尊が祀られています。
 庚申塔が六基集められています。

   

<庚申塔>
 階段下右脇に元禄15(1702)年銘の地蔵尊を主尊とする庚申塔があります。
 (紀年は「元禄十丁(丑か五)年」と刻まれています。
 横浜市のサイト記載では元禄15年としていますが、元禄十丁丑で元禄10(1697)年と推察します。)

  

<庚申塔>
 階段上の庚申塔二基です。
 左は青面金剛を主尊とする元禄8(1695)年銘の庚申塔です。
 右は阿弥陀如来を主尊とする貞享3(1686)年銘の庚申塔です。

  

<庚申塔>
 左は地蔵尊を主尊とする宝永8(1711)年銘の庚申塔です。
 右は青面金剛を主尊とする元禄5(1692)年銘の庚申塔です。

   

<他>

  

<庚申塔>
 元禄4(1691)年銘の台座に三猿を刻む文字庚申塔です。

   

<石坂供養塔>
 明和5(1768)年銘の「奉納燈籠石坂供養」です。

  

<馬頭観世音>
 昭和2(1927)年銘の馬頭観音です。

  

<拝殿前地福石>
 昭和25(1950)年銘。

  

<地蔵尊>

   

 ※各石塔の紀年は「保土ヶ谷区全域の地域遺産リストと分布」(横浜市)を参照しました。


御所台の井戸(政子の井戸) 横浜市保土ヶ谷区岩井町

 いわな坂にある「御所台の井戸(政子の井戸)」です。
 平成17(2005)年にリニューアル工事が行われています。

     

(標柱)
 「横浜市地域史跡 御所台の井戸
  平成三年十一月一日登録 横浜市教育委員会
  平成四年三月設置」

   

(プレート文)
「この道は、旧金沢道(金沢・浦賀往還)、俗称金沢横町と呼ばれる道で古くより鎌倉へ到る道として知られていました。この坂は石難坂(石名坂)といい、坂の上の辻に北向地蔵があります。
 鎌倉時代、源頼朝の妻政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、「御所台の井戸」と呼ばれています。
 また、保土ケ谷宿の苅部本陣(保土ケ谷町一丁目68番地)に江戸時代、将軍が休息した時、御膳水としてこの井戸の水を使用したと伝えられています。
  (社)横浜国際観光協会 横浜市教育委員会文化財課 平成4年3月」

  


北向地蔵 横浜市保土ヶ谷区岩井町405

 いわな坂を上りきったところに享保2(1717)年に建立された「北向地蔵」があります。

    

(標柱)
 「横浜市地域民俗文化財 北向地蔵
  平成元年十二月二十五日登録 横浜市教育委員会
  平成二年三月設置」

   

(説明板)
「横浜市地域有形民族文化財 北向地蔵
  平成元年十二月二十五日登録
  所在地 保土ヶ谷区岩井町四○五番地
  時 代 享保二年
  寸 法 地蔵坐像 総高七十三センチ
    蓮華座  総高三十一センチ 径 九十四センチ 厚 五十二センチ
    角柱   総高一五○センチ 幅 五五・五センチ
 北向地蔵は、僧三誉伝入が享保二年(一七一七)に、天下泰平・国土安全を祈念すると共に、旅人の道中安全を祈願して建立したものです。この場所は東海道の保土ヶ谷宿の通称金沢横町から分岐した金沢・浦賀往還への旅の途中に所在するため、角柱には「是より左の方かなさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれ、金沢方面と弘明寺方面への道案内も兼ねています。
  平成六年十一月 横浜市教育委員会」

  

 北向地蔵は、道標となっている台石の上にある蓮華の台座に座しています。

 (台石正面左)「是よ里左の方 か奈さわ道」
 (台石正面)「南無阿弥陀佛」
 (台石右面)「是よ里右の方 久めう寺道」

     

「かなざわ道」
 北向地蔵から先は、かなざわ道は下っていきます。

  


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