〇 かっぱ橋道具街通り
〇 河童の街灯
〇 かっぱの屋号
〇 かまた刃研社のカッパ
〇 かっぱ河太郎
〇 かっぱ橋の由来
旧新堀川沿の南北約800mの商店街です。
商店街の東側が西浅草、西側が松が谷となります。
巨大コックと、巨大マグカップがお出迎え。
女の子の河童は、萩原楽一氏のデザインです。
屋号の看板ができたのは昭和52(1977)年。萩原楽一氏のデザイン。
<かまた刃研社 カッちゃん パッくん> 台東区松が谷2-12-6 HP
包丁を持ったカッパ(カッちゃん)とフライパンを持ったカッパ(パッくん)がいます。
平成15(2003)年10月に「合羽橋道具街」が誕生してから90年を迎えるにあたり、これを記念して
シンボル像「かっぱ河太郎像」が、合羽橋交差点付近に建立されました。
像の製作は、彫刻家:西村祐一氏と工芸作家:北村真一氏。
川の堀割工事を手伝ったとされる河童伝説に基づいたものです。
オーソドックスに緑色のほうが河童らしいと思うのですが、ブロンズ金箔張りの像で黄金に輝いています。
足下のタイルは河童の絵になっています。
(碑文)
「かっぱ河太郎像の碑
古来合羽橋は商売とは深い縁で結ばれていた 今から約二百年前の文化年間 商人として財を成した合羽屋喜八は このあたりの水はけが悪く 僅かな雨で度重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね 私財を投げ出し 治水のための堀割工事を始めた ところが工事は困難を極めなかなか捗らない その様を見ていた隅田川の河童達が喜八の侠気に感じ 夜な夜な現れては人知れず工事を進め さしもの難工事もついに完成した
そして その河童 を見た人はなぜかそれから運が開け 商売が繁盛したという
この故事に鑑み 合羽橋道具街の誕生九十年を迎えるにあたり ご来街のお客様ともども幾久しい商売繁盛を祈念し 台東区の協力を戴きこの地に かっぱ河太郎像 を建立する
平成十五年十月吉日 東京合羽橋商店街振興組合」
※ 江戸時代、土木工事は武士の身分の普請役が担当で、普請奉行が治水工事するのが本来です。
民間人が治水工事を行うのは禁制です。
町民は、合羽屋喜八がお咎めを受けないよう、工事を行ったのは河童だったと言ったのが、
河童伝説の本来の由来のように思います。
<歴史と文化の散歩道>
「かっぱ橋の由来
合羽橋の由来には二つの説がある。
その一つは、今から160年ほど前の文化年間のころ、この一帯は、水はけの悪い土地でたびたび出水を起こしていた。そこで、合羽川太郎(本名:合羽屋喜八)は、私財を投じて排水工事に着手したが、工事はことのほか難航した。昔、川太郎に助けられたことのある隅田川の河童たちは、これを見ていたく同情し工事を手伝ったおかげで、掘り割り(当時は新堀川と呼ばれた)は見事に完成した。この故事にちなんで「合羽橋」としたというものである。
もう一つの説は、今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで、「合羽橋」と呼ばれるようになったというものである。」