【全体】
○ 竹ノ塚マンホール蓋通り
○ 街路樹の踏み固め防止板
○ ゆかりの生き物
○ 足立区ゆかりの絵図
○ 歩道タイルモザイク
【大踏切跡から増田橋へ】
○ 島根六月寺めぐり散歩
○ スポット親水
○ セラミックアート
○ 小林一茶と炎天寺
○ 増田橋跡
○ 火の見櫓がある風景
○ 竹の塚センター通り
【大踏切跡からはんの木橋へ】
○ 竹の塚夢物語り
○ 伊興寺町散歩
○ 観音橋跡
○ 伊興町前沼児童遊園
○ 聖一の橋跡
○ はんの木橋
○ 見沼代親水公園
東武伊勢崎線第37号踏切跡(大踏切跡)をはさんで、はんのき橋交差点から増田橋交差点まで、
赤山街道の両側の歩道に、延々とカラーマンホールが連なっています。
踏切跡から北西は3種類、踏切跡から東は4種類のカラーマンホール蓋が設置されています。
ご覧の通り、カラーマンホール蓋のオンパレードです。
いくつあるのか数えようかと思ったものの、一通り見終えて、あまりの多さに最初から数える気力は失せました。
炎天寺ゆかりの小林一茶の俳句にちなんだ「蛙が相撲をとる姿」をデザインしたマンホール蓋です。
河で魚を捕っている光景、オート三輪も描かれていて、とっても昭和チックです。
友好都市ベルモント市のシンボル「カワセミ」をデザインしたマンホール蓋です。
友好都市ベルモント市のシンボル「黒鳥」をデザインしたマンホール蓋です。
街路樹の踏み固め防止板にカエル(炎天寺の小林一茶の句から)、コイの2種類があります。
それぞれ平面と立体のものがあります。
歩道に埋め込まれた平板のモニュメントに地元ゆかりの生き物をモチーフにしたデザインを見ることができます。
竜(舎人氷川神社にある絵)
ヘビ(大乗院の新春行事「じんがんなわ」)
サル(島根小学校横の猿仏塚)
カエル(炎天寺)
キツネ(橋戸稲荷神社)
片目の大緋鯉(千住大橋)
カメ(千住大橋)
カッパ
チューリップ(足立区の花)
※かつて、足立区内にはチューリップ農家が多数あり、
「足立のチューリップ」として全国的にその名をとどろかせました。
「日光道中二」「千住絵馬」「東岳寺広重碑」「大乗院
じんがんなわ」
「白旗塚古墳」「炎天寺一茶碑」「島根神社 足立のお面」「鹿浜獅子舞」
きれいな画像を撮るには、ほうきと雑巾を持参する必要があると思いました。
平成4(1992)年3月の設置です。途中で全部収録するのは諦めました。
〇大踏切跡 足立区西竹の塚1丁目〜2丁目
○島根六月寺めぐり散歩 足立区竹の塚1-28(撤去されました)
踏切からちょっと歩くと「島根六月寺めぐり散歩」の標柱があります。
散歩道は途中で炎天寺に向かい右に折れますが、カラーマンホール蓋は、そのまままっすぐ増田橋まで続きます。
島根六月寺めぐり散歩 足立区竹の塚1-25
赤山街道から右に折れるところにも標柱が設置されています。
○モニュメント 足立区竹の塚1-12-14
説明はありません。水の流れでも表しているのでしょうか。
「スポット親水」が2ヶ所ありますが、花のプランターが置かれ、親水の機能は果たしていません。
・スポット親水(足立区竹の塚1-30-1) ・スポット親水(足立区竹の塚1-32-3)
野鳥と野草のセラミックアートで、平成6(1994)年の制作です。
増田橋まで、延々と続いています。
きりがないので増田橋近くに設置されていた説明板を撮りました。
「竹の塚一丁目交差点」の北西側に、説明板「小林一茶と炎天寺」があります。
(説明板)
「炎天寺には江戸時代後期の俳人、小林一茶の“やせ蛙”を応援する心温まる話があります。
小林一茶は、長野県に生まれ、不遇な中で育ちました。そのためか、一茶の句には弱い者をいたわるものが数多くあります。彼は、俳諧の道で名をなそうと江戸へ出て来ましたが、なかなか思うようにならず江戸と郷里の間を数度に渡って往復していました。干住関屋の建部巣兆、竹塚忖の竹塚東子という文人連とも深い交わりを結んでいて足立にも何度か足を運んだようです。
当時の竹塚村は、水田地帯で初夏の田植えの時季になるとあちこちでカワズが鳴き合い“蛙合戦”で江戸中に知れわたっていました。竹塚村を訪れるたびにこうした光景に接した一茶は、やがてこの蛙合戦の模様を見て、
やせがえる 負けるな一茶 是にあり
という一句を詠んでいます。この句には、「武州竹塚というに蛙戦いありける見にまかる」という前書きが記されています。その他にも
蝉鳴くや六月村の炎天寺
むら雨や六月村の炎天寺
の句があります。
昭和37年に炎天寺境内に2メートルほどの“一茶句碑”が建てられ、以来11月23日に地元の有志によって“ー茶まつり”を行っています。その日には、付近の小中学生も多数参加してー茶に負けない名句を作っています。」
○増田橋跡 北へ旧日光道中/西へ旧赤山道 詳細は別途記載
増田橋跡は、昔は竹の塚の立場として賑わいました。
赤山道に沿って流れてきた竹の塚堀はそのまま東へ。千住堀は南に曲がり、分かれます。
「増田橋」と刻まれたモニュメントがあります。
道標は「平成六年」と刻まれているので、昔のものではなく新しいものです。
○「火の見櫓がある風景」(昭和43(1968)年1月 足立区立郷土博物館蔵)
竹の塚2-8付近から竹ノ塚駅方面を望んだ赤山街道です。
左手が千住堀で、右手は竹塚堀です。
両堀は暗渠化・歩道となり、マンホール蓋のオンパレードとなっています。
昭和43(1968)年 現在
○モーツァルトのボラード
途中、竹の塚センターに向かう竹の塚センター通りには、モーツァルト及びハープのボラードが並んでいます。
竹の塚センター通りにも、カラーマンホール蓋が連なっています。
やせカエルのマンホール蓋(汚水と雨水)のみです。
街路樹の踏み固め防止板は、ハトとチューリップ(足立区の花)です。
○竹の塚夢物語り 足立区西竹の塚1-11-2エミエルタワー竹の塚
竹ノ塚駅西口の再開発事業により「エミエルタワー竹の塚」が竣功しました。大踏切跡のすぐ先です。
ビル外壁に、竹やぶと民家をテーマとした陶板レリーフ「竹の塚夢物語り」が設置されています。
平成17(2005)年2月の完成で、宮田亮平氏の作品です。
同氏の作品には、東京メトロ銀座線上野駅のステンドグラス「上野今昔物語」等があります。
(プレート)
「竹ノ塚駅西口南地区市街地再開発事業竣功記念
竹の塚夢物語り 平成十七年三月 宮田亮平
制作 竹ノ塚西口南地区市街地再開発組合
企画 財団法人日本交通文化協会」
大踏切跡から少々進むと、伊興寺町散歩の大きな説明板があります。
こちらのコースは伊興寺町へ行き、古千谷橋へいたります。
今回はこちらのコースではなく、赤山街道を行きます。
「伊興寺町散歩
伊興寺町散歩は、東武伊勢崎線竹ノ塚駅から古千橋までの約2.4kmのみちのりです。「名所江戸百景」で知られる初代安藤広重や五代将軍綱吉の生母桂昌院の墓がある伊興の寺町をめぐる散歩道です。」
観音橋跡があります。
かつてここに馬頭観音塔があり、現在は実相院へ移されています。馬頭観音については実相院で記載(こちらで記載)。
伊興町前沼児童遊園の地下には、多目的貯水槽があります。
「スポット親水」となっていますが、水はなく枯山水です。
多目的貯水槽のマンホール蓋です。
伊興町前沼児童遊園から北へ、3つ同じ型の「スポット親水」が続きます。
水はなく、花のプランターが置かれています。
他の「スポット親水」も、花のプランター置き場となっています。
・親水スポット(足立区東伊興1-7) ・親水スポット(足立区伊興5-3)
<左へ 保木間掘 右へ 竹の塚掘>
<千住堀分岐点>
<是より西へ本木掘>
<保木間堀親水水路> 足立区東伊興
保木間堀親水水路です。ここは水の流れがあります。歩道にカラーマンホール蓋があります。
足立区のマークと、足立区の木「さくら」が描かれています。
はんの木橋の次の交差点が、古千谷橋。見沼代用水の終点です。
竹の塚堀、千住堀、保木間堀、本木堀と分岐していきます。
「伊興寺町散歩」の大きな説明板があります。
(掲示)
「伊興寺町と伊興遺跡群
伊興寺町は,大正12年(1923)の関東大震災後、浅草地区の区画整理などで伊興町狭間地区に転入して来た寺院によって形成されました。「東海道五十三次図や「名所江戸百景」で知られる江戸の浮世絵師初代安藤広重が眠る東岳寺、徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院の菩提寺である法受寺、歌舞伎で名高い花川戸助六の墓がある易行院などが甍を並べています。
伊興は足立区でも早くから人が住み始めたところで、東伊興2丁目にある氷川神社付近を中心に、弥生後期から古墳時代に至る土器や祭祀異物、住居跡等が出土しています。」
<古千谷橋プチテラス> 足立区古千谷本町4-14-1
見沼代親水公園の水路の終端の先に、ポンプ小屋らしきものがあります。
道標「見沼代用水幹線水路」「古千谷橋」が建っています。