「志んざかした」に「イカホ温泉」「シオバラ温泉」があります。
「伊香保楼」「志保原」は、大正から昭和にかけて文豪や政治家、財界人が利用した温泉料亭です。
〇伊香保楼
伊香保温泉の湯を使用(湯の花を使用)した温泉旅館です。
木造3階建て、園内には台上より引いた泉水を擁し中の島に赤橋がかかる東都随一の料亭と言われました。
岡倉天心や幸田露伴、饗庭篁村、斎藤緑雨、森鴎外といった「根岸党」の面々が宴会を行った場所として知られています。
数々の囲碁対局が行われた場所でもあります。
また、伊香保楼の庭には、尾形乾山墓碑・乾山深省蹟の両碑が、下谷坂本にあった善養寺の西巣鴨への移転に際し、
伊香保楼(国華倶楽部事務所)の庭に移されました(大正10年に寛永寺境内に移されます)。
なお、伊香保楼は、大正末期に廃業しました。
「東京自慢名物会 料理温泉 いかほ」(豊原国周 明治29年 都立図書館蔵)
画中には、「上野山越えて根岸に人来鳥いつも春めく伊香保温泉 千秋」とあります。
明治、大正、昭和にかけて、多くの文人が来ている温泉旅館です。
太宰治の骨折りで親友の山岸外史の結婚披露宴(媒酌・佐藤春夫夫妻)が催されたりしています(昭和16(1941)年6月)。
また、永井荷風と谷崎潤一郎の対談が行われた場所(昭和17(1942)年3月)としても知られています。
「全国旅館名簿」(昭和16年)には「志保原旅館」(上野桜木2)「志保原別館」(上野桜木4)の2館が掲載されています。
「東京上野鶯谷志保原 霞の間/若松の間(広間)」(絵葉書 台東区立図書館蔵)
<高輪に移転>
戦後は高輪(泉岳寺周辺)に移転し「たかなわ志保原」として営業しました。
文人や政治家が多く利用した高級料亭でした。
昭和30(1955)年の保守合同の際、大野伴睦と三木武吉が密会し「自由民主党」誕生の第一歩が踏み出された会談の舞台でもありました。
「高輪“志保原”にて
水際へしだいに咲ける芙蓉かな」(流寓抄 久保田万太郎)
温泉料理旅館として以下を紹介しています(明治35年出版時点)。
「福住楼」(芝公園地)
「芝浦海水浴」(芝金杉)
「芝浜館」(本芝一丁目)自家鉱泉
「草津亭」(駒込)(浅草、南茅場町に支店)
「紫明館」(根津) こちらで記載
「伊香保」(新坂下) 本頁
「志保原」(新坂下) 本頁
「松源分店」(下谷金杉)
「有馬温泉」(向島清地) こちらで記載
「東京新繁昌記」(明治30年)
上記以外にも多々あり、捕捉します(明治30年出版時点)。
「万安」(木挽町一丁目)
「富士見楼」(麹町飯田町四丁目)
「福清」(浅草新福井町)
「明保野」(大森村池上)
他にもあります。
「磯部温泉」(根津八重垣町)
「里の今昔」(永井荷風)
永井荷風は、「里の今昔」の中で、温泉宿について言及しています。
「当時入谷には「松源」、根岸に「塩原」、根津に「紫明館」、向島に「植半」、秋葉に「有馬温泉」などいう温泉宿があって、芸妓をつれて泊りに行くものも尠くなかった。」