○ 普門院
○ 中川堤通り
○ 二丁目氷川神社
○ 潮止揚水機場記念ひろば
○ 馬頭観音
弘誓山普門院と号します。西新井組中川通四箇領八十八箇所69番です。
<土手供養塔>
明暦元(1655)年建立の「土手供養塔」です。
(説明板)
「土手供養塔
この供養碑は、明暦元年(一六五五年)に当字の鎮守氷川神社の東側の中川土手上に建てられたものです。
当時は川の氾濫により、しばしば土手が切れ、村じゅうが水びたしになり、村びとを苦しめました。そこで、普門院住職浄西は、土手が切れないようにと願をかけ、草創百姓十七名(「二丁目の獅子舞」の獅子株を持っていた人々)の浄財によりこれがつくられました。それ以後、土手が切れなくなったと言われています。
中川の改修により、昭和六十二年にこの地に移されました。「土手まもり様」として多くの人々に親しまれ、ながい間、往来の人々の安全を見守っています。」
<札所碑>
「新四國八十八箇所」
「西新井組六十九番」
<参道>
<山門>
<六地蔵/宝篋印塔>
<大師堂>
「新四國四箇領八十八箇所 第六十九番」
<本堂>
<庚申塔>
三基の石塔の中央が宝暦4(1754)年銘の庚申塔です。
潮止通りは、普門院先の交差点で右折しますが、そのまま真っすぐいくと中川堤通りに突き当ります。
中川下流に「共和橋」が見えます。
中川堤通りを中川上流に向かって進みます。
<鳥居/社号標>
(説明板)
「市指定無形民俗文化財 二丁目の獅子舞
指定 昭和46年3月16日
所在地 八潮市大字二丁目196番地1(二丁目氷川神社)
二丁目の獅子舞は、7月第3日曜日に二丁目氷川神社の祭礼に奉納されます。
かつて神社の東の土手上に「土手守り様」と呼ばれる供養碑がありました(現在は普門院の入口に移築)。これは明暦元年(1655)に建てられたもので、「中川の土手は切れやすく、村人は難儀したため、竜神を鎮めるために石碑を建て、獅子舞を奉納した」との伝承があるため、二丁目の獅子舞もこの頃に始まったと考えられます。獅子は大獅子・中獅子・女獅子で構成されており、現在の獅子頭は平成20年(2008)にそれまで使っていた獅子頭の材質、形、意匠を正確に再現して作られたものです。
舞の曲目を「庭」と呼び、平舞→掛り→花取り→女獅子隠し→角研ぎで構成され、「掛り」は5種類あります。舞には太鼓の撥で地面に文字を書くような所作が多く、その様子が田んぼの草取りをしているように見えることから「田の草取り獅子」とも呼ばれています。また、「掛り」と「花取り」の間いには、歌い手が「千早振る 神の斎垣に弓張りて あたりをかため あらたかに」のと獅子の背中を扇いで歌う「ハイチ」が入ります。このように舞の途中で歌が入る獅子舞は県北・西部に多く、東部では稀です。
獅子は一庭ごとに獅子宿から出立し、終わると宿に帰ります。3庭目が終わり獅子一行が宿に戻った後、神主と総代らが年番のもてなしを受ける「場謡」が行われます。
令和6年7月 八潮市教育委員会」
<記念碑/手水舎>
<稲荷社>
<拝殿/本殿>
<御神木/神徳碑>
潮止揚水機場は、昭和4(1929)に建てられ、中川から揚水機によって水を引くことで農業生産力の向上に寄与しました。
「八潮市潮止揚水機場記念ひろば」/「潮止揚水機場ポンプ及びモーター」
「潮止村耕地整理事業」/「八潮市東南部の農業と揚水機場」
「潮止揚水機場記念ひろば」の中川土手側に、天保2(1831)年銘の馬頭観音があります。
中川改修により移設された明暦元(1655)年銘の「土手供養塔」は、「氷川神社の東側の土手上」にあったといいますから、この辺りです。