映画「キューポラのある街」(昭和37(1962)年)で知られる川口は、戦前から鋳物工場の街でした。
「川口鋳物工業協同組合」は明治38年に設立され、今でも107社が加盟しています。
川口オートレース場(昭和27(1952)年2月1日オープン)は、全オートレース場中1番の売り上げを誇るオートレースのメッカです。
川口市に吸収されたり分離したりした鳩ヶ谷町には赤線がありました。
西川口は、かつて大規模な風俗街が存在したことで知られ、全国的にも知名度の高い風俗街でした。
1980年代に「西川口一番街」に西川口流(NK流)のサービスを提供する「ピンクサロン」が集まってきました。
2001年からはシャワー付のNK流の店が爆発的に増え、2004年の全盛期には、西口と東口合わせて250店弱の店舗がありました。
店舗の増加とともに情報店も14店舗まで増えました。
また、NK流は、蕨や越谷などへも拡大していきました。
2004年11月からの警察の取り締まり強化により、2005年にはNK流の店舗は一掃されました。
摘発後の西川口は、中国人人口が激増し、チャイナタウンと化しています。
西川口で一番最初にオープンした情報喫茶「西川口館」です。