〇 Series of ARC(川上喜三郎)
〇 大成大手町ビル
〇 東京市外電話局誕生の地
〇 道三橋跡
メトロ大手町駅A5出口にあるパブリックアートです。
川上喜三郎氏は、1945年生まれの建築家、彫刻家。王立英国建築家協会会員。
「日清生命館」→「丸ノ内野村ビル」→「大手町野村ビル」→「大成大手町ビル」(2025年1月1日)と変遷しています。
(プレート文)
「東京都選定歴史的建造物 丸ノ内野村ビル(旧日清生命館)
所在地 千代田区大手町2-1-1
設計者 佐藤功一
建築年 昭和7年(1932年)
昭和7年(1932年)に日清生命保険株式会社の本社ビルとしてこの地に建てられた旧日清生命館は、昭和16年(1941年)に同社が野村生命保険株式会社(現東京生命保険相互会社)と合併した際に、丸ノ内野村ビルヂングと改称されました。
鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階、地上8階、塔屋1階の当時の建物は、2階外壁の大部分が彫刻付テラコッタ(装飾焼物)貼り、7階及び塔屋の彫刻部分もテラコッタ造りで、繊細な意匠が壁面全体を覆うネオルネッサンス風の壮麗な建築でした。
古典主義を規範とした丹精で清楚なその姿は、ランドマークとして周辺の人々にも親しまれてきました。
その外観の一部、時計塔、列柱、尖塔などのほか2階部分のレリーフや玄関の門構えが、旧ビルと同じデザインで忠実に復元され、東京の歴史的都市景観を後世に伝える「大手町野村ビル」として生まれ変わりました。
東京都生活文化局 平成9年1月」
(プレート文)
「景観まちづくり重要物件
この建造物は、景観上重要と認められるので、重要物件として指定いたしました。
平成十五年度 千代田区」
NTT都市開発が開発した「アーバンネット大手町ビル」ピロティに赤いモニュメントがあります。
その基部に「東京市外電話局誕生の地」と書かれ、建物の図が刻まれています。
(碑文)
「東京市外電話局誕生の地
明治23年12月16日辰の口に東京電話交換局が開設され、同25年7月7日当地に移転した。
以後、東京市外電話局、東京電話番号案内局として日本の電話交換業務の中心的役割を果たし、昭和62年8月建物再開発に伴い,
その輝かしい歴史の幕を閉じた。
平成2年12月6日 NTT東京情報案内センタ NTT都市開発株式会社」
「世界交通文化発達史 東京日日新聞社 昭和15年)
明治23年12月16日開設の東京電話交換局(右の円内)と、
明治25年7月7日に大手町2-2-2に移転した東京電話交換局(左)が掲載されています。
「新大手町ビル」と「大成大手町ビル」との間の路地に、千代田区の説明板「道三橋跡」があります。
(説明板)
「道三橋跡
1590年(天正18年)に徳川家康が江戸に入国し、江戸城建設の物資補給路のために竜の口(和田倉門のそば)から銭瓶橋まで掘割を開削させ、道三掘と呼びました。そのほぼ中間点、現在の丸の内一丁目と大手町一丁目の境に架けられていたのが道三橋です。慶長年間(1596〜1614)には堀に沿って材木屋等の町屋が立ち並びましたが、その後武家地となり、大名家が屋敷を構えました。
当初は大橋と呼ばれていましたが、南東の端に幕府典薬寮の医官今大路道三の屋敷があったことから道三橋と呼ばれるようになりました。また、橋の西側に熊本藩(現在の熊本県)細川家の屋敷があり、当主の代々の幼名が彦次郎であったことから彦次郎橋とも呼ばれていました。1909年(明治42年)、道三堀が埋め立てられ橋も姿を消しました。」
「江戸切絵図」
「道三堀」と「道三橋」部分の抜粋です。「道三撥」の次の橋は「銭瓶橋」です。
「江戸名所図会 八見橋」
日本橋と江戸橋以外の六橋が描かれており、右手に道三橋が見えます。
「名所江戸百景 八ツ見のはし」(広重)
「八ツ見のはし」(一石橋)から、道三堀の銭瓶橋と奥に道三橋が見えます。
「富士三十六景 東都一石ばし」(広重)
一石橋(手前)と銭瓶橋(奥)さらに奥に道三橋が描かれています。