Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 尾張町(銀座5丁目)


○尾張町

「江戸名所図会 布袋屋 亀屋 恵比須屋 呉服店」

 タイトルにあるように、呉服店の「布袋屋」「亀屋」「恵比須屋」が描かれています。
 現在の「銀座五丁目交差点」付近です。

  

「江戸百人美女 尾張町」

 こま絵に「ゑびすや」が丁寧に描かれています。宣伝でしょう。

   

「東都尾張町繁栄之図」(広重 嘉永6年 ボストン美術館蔵)

 「布袋屋」が描かれています。

  

「江戸名所尾張町之図」(芳宗 文久3年)

 「ゑびすや」と「ほていや」が描かれています。

  

「東京尾張町之図」(月岡芳年 明治2年 都立図書館蔵)

 明治2(1869)年に描かれた「東京尾張町之図」で、現在の「銀座五丁目交差点」付近が描かれています。
 右の「布袋屋呉服店」は「銀座大火」で焼け、2階建の煉瓦建築が明治6(1873)年に竣工し「恵比寿屋」となりました。
 恵比寿屋は明治8(1875)年に倒産し、この建物に明治9(1876)年12月31日、「東京日日新聞」を発行する「日報社」(のち毎日新聞)が移転しました。
 「東京日日新聞」は明治5(1872)年2月に創刊された日本で最初の日刊紙です。

  

「東京名所図会 尾張町煉化石」(三代広重 明治7年)
 
 この建物に日報社が入る前の恵比寿屋が営業していた時です。

  

「東京銀座街日報社」(小林清親 明治9年)

 日報社の煉瓦社屋は、東京の新名所として人気になりました。
 煉瓦社屋に「東京日々新聞」の銘板が見えます。

   

「東京第弌名所銀坐通煉瓦石之圖」(三代広重 都立図書館蔵)

 三代広重が描いた日報社です。
 右手の建物が「日報社」です。
 玄関階段上に「吾曹」と描かれた人物が社長の福地源一郎です。
 「吟香」は記者の岸田吟香です。
 明治10年に日報社を退社した岸田吟香が描かれているので、明治10年の作品と推定します。
 日報社の奥には「料亭松田」「玉すし」「不詳」(読めない)が並び、「竹河岸」「京橋」と続きます。
 通りには千里軒の乗合馬車が走っています。

   

 「福地源一郎」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
  天保12年3月23日〜明治39年1月4日(1841年5月13日〜1906年1月4日)
  4枚目はパリでの撮影、左が福地源一郎、右は福沢諭吉。

     

 「櫻痴居士福地君紀功碑」
  浅草寺新奥山に顕彰碑(山縣有朋の揮毫)が建っています(こちらで記載)。

   

 「岸田吟香」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
  天保4年4月8日〜明治38年6月7日(1833年5月26日〜1905年6月7日)

   

「東京名所圖會」「尾張町日々新聞日報社」(三代広重 明治13年 都立図書館蔵)

 明治13年に三代広重が描いた「日々新聞日報社」です。

  

「東京開化狂画名所 尾張町 日報社田舎者の旧法」(月岡芳年 明治14年 都立図書館蔵)

 日報社は明治9(1876)年12月31日に煉瓦社屋に移転、翌年の明治10(1977)年元日付から「東京日日新聞」を発行しています。
 尾張町の「日報社」の花ガス燈の広告灯を田舎夫婦が拝んでいます。
 文明開化の光である花ガス燈を初めて見て、あまりにもの明るさにありがたやと拝んでいるのでしょう。
 月岡芳年は文明開化時代を端的に画いています。

  

「東京市及接続郡部地籍地図」(東京市区調査会 大正1年)

 大正元年に東京市が発行した地図から、京橋区の「尾張町一丁目」「尾張町二丁目」と、
 「元日々新聞社跡」の抜粋です。

   

「銀座の中心尾張町」(大東京寫眞帖 昭和5年)

 昭和に入っても、銀座の中心は尾張町だったようです。
 写真のコメント
 「兎に角銀座尾張朝を知らなければ東京の中心を語ることは出来ない。寫眞は晝間の撮影だが、夜間にその眞面目を發揮する。」

  


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