猿江恩賜公園は、かつては江戸幕府の貯木場で、
新大橋通りをはさんで南側(住吉2丁目)と北側(毛利2町目)の地区に分かれています。
南側地区の入口左手に「猿江材木蔵跡」碑があります。
(説明板)
「猿江恩賜公園 南側地区
ここは、かつて猿江貯木場といって、林木を水に浮かべて貯めておくための場所でした。
享保18年(1733年)頃、幕府の材木蔵として造られた後、明治政府に引き継がれ、皇室の御用材の貯木場となりました。
大正13年(1924年)にその敷地の一部(南側地区)が東京市 に払い下げられ、昭和7年(1932年)、猿江恩賜公園
として開園されました。
開園年月日 昭和7年(1932年)4月29日(南側地区)
主な植物 イチョウ、ヤマモモ、ケヤキ、サツキ、ソメイヨシノ
施設 野球場(兼用競技場)
東京都猿江恩賜公園管理所」
「江戸切絵図」
江戸切絵図に「猿江御材木蔵」が見えます。
<猿江材木蔵跡> 江東区史跡 江東区住吉2-28
享保19(1734)年に、横網の幕府の御竹蔵が猿江に移され、横網には御米蔵が竣工しています。
(碑文)
「猿江材木蔵跡
この付近は江戸時代初期に埋め立て元禄十二年深川元木場にあった時木場を一時ここに移したことがあり、そののち享保七年伊勢屋毛利藤左衛門たちが堀を埋め立て毛利新田をひらいたが享保十九年幕府はその大部分をとりあげて材木蔵をおき以来幕府の貯木場となり明治以降は皇室所有の貯木場となり大正十三年その一部を猿江公園とした。
昭和三十三年十月一日 江東区第十一号」
<猿江恩賜公園由来碑> 江東区文化財
昭和7(1932)年4月の開園と同時に建てられたと思われ、碑上部に猿のレリーフを配し、
300文字におよぶ公園開設の由来が刻まれています。(江東区HPより引用)