○ 如水会館渋沢栄一像(一橋大学創設者)
大正6(1917)年、栄一の喜寿を記念し渋沢栄一寿像が東京高商講堂に設置されましたが
関東大震災で失われました。
大正15(1926)年、如水会館復興建築竣工開館式、続いて栄一の寿像除幕式が行われ、
渋沢栄一が出席し謝辞を述べました。
この像は掘進二作で二基鋳造され、もう一基は、一橋大学附属図書館大閲覧室にあります。
昭和19年に金属類供出により失われ、昭和39(1964)年、渋沢栄一寿像の再建除幕式が行われています。
一ツ橋大学図書館の像は笑っていますが、こちらは笑っていません。
(銘板)
「天保十一年武蔵野に生まる 幕末欧州に留学し 維新後明治六年第一国立銀行
を創立 総監に就任す 時に三十四歳 卓越せる見識をもって官尊民卑の打破 株式会社制度の導入 商業の地位向上 経済倫理の確立 実業教育の育成に尽瘁す
明治八年商法講習所の創設に尽力し 後身たる東京高等商業学校の大学昇格 申酉事件・籠城事件等の解決に奔命す
如水会の結成に当りその命名者となる
昭和六年逝去 享年九十二歳」
<一橋大学図書館の渋沢栄一胸像>
図書館の中に入れないので、代わりに東商渋沢ミュージアムで撮ってきた画像です。
東京外国語大学発祥の地でもあります。
(碑文)
「東京外国語学校発祥の地
東京外国語大学の起源は安政1(1857)年に創設された蕃書調所まで遡るが、直接の前身である東京外国語学校が開設されたのは,
明治6(1873)年11月1日、この地(当時の東京府神田区一ツ橋通町一番地)においてであった。東京外国語大学は
この日を建学記念日として、ここに碑を建立する。
平成14(2002)年3月27日 東京外国語大学」
「東京外國語学校」(日本写真帖 明治45年 国立国会図書館蔵)