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 渋沢栄一生誕の地/論語の里


論語の道

 渋沢は従兄弟の「尾高惇忠」に「論語」を学ぶため、生家の「血洗島村」から隣の「下手計村」まで
 歩いて通っていました。
 今日では、この1.5kmほどの道は「論語の道」と呼ばれ、循環バスが走り、多くの観光客が訪れます。
 「論語の道」周辺には、渋沢栄一ゆかりの多くの史跡が残されており、
 それら総称して「論語の里」と呼ばれています。

     

(観光案内板)
「渋沢栄一翁と論語の里
近代日本資本主義の父 渋沢栄一(1840〜1931)
 深谷市血洗島に生まれ、尾高惇忠に学問を学びました。20代で従兄弟らと倒幕を計画し、中止された後は一橋(徳川)慶喜に仕え、家臣として慶喜公の名代昭武に同行し渡欧しました。
 明治維新後は政府の大蔵省で官営富岡製糸場の設立に関わりました。34歳で大蔵省を辞した後、実業界で活躍。幼少期に学んだ「論語の精神」を基に500社以上の企業の設立に関わりました。」

「論語の里
 栄一は7歳頃から、尾高惇忠に論語をはじめとする学問を習いました。生涯を通じて論語に親しんだ栄一は、「道徳経済合一説」を唱え、「近代日本資本主義の父」と呼ばれるに至りました。
 栄一が淳忠の家に通った道はいつしか「論語の道」と呼ばれ、栄一に関する史跡が多く残されていることから、それらを総称し「論語の里」と呼んでいます。」

   

<渋沢栄一 論語の里循環バス>

    

<庚申塔群> 深谷市血洗島 薬師堂

 論語の道に、庚申塔も見受けられます。
 水藩烈士忠魂碑が一般的に紹介されていますが、庚申塔が多数並んでいます。

    

<庚申塔> 深谷市下手計

  


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