○ 尾高惇忠生家
○ 鹿島神社
○ 渋沢栄一記念館/渋沢栄一銅像
尾高惇忠は渋沢栄一の従兄弟であり、論語の師として、渋沢栄一の思想に多大なる影響を及ぼした人物です。
富岡製糸場(群馬県富岡市)の初代場長を務めました。
渋沢栄一は、論語をはじめ様々な学問をここで習いました。
さらに青年期の渋沢栄一は、この2階で高崎城乗っ取り計画を謀ったと伝えられています。
現在、土地建物ともに個人所有です。
(説明板)
「深谷市指定史跡 尾高惇忠生家
尾高惇忠は天保元年(1830)下手計村に生まれ、通称は新五郎、藍香と号しました。渋沢栄一の従兄にあたり、栄一は少年時代からここ藍香のもとに通い、論語をはじめ多くの学問を藍香に師事したことが知られています。“藍香ありてこそ、青淵(栄一)あり”とまで、後の人々は称えており、知行合一の水戸学に精通し、栄一の人生に大きな影響を与えました。淳忠や渋沢栄一、喜作ら青年同志が、ときの尊皇攘夷論に共鳴し、高崎城の乗っ取りを謀議したのもこの2階であると伝わります。その後官営富岡製糸場初代場長や国立第一銀行仙台支店長を努めたことでもよく知られています。
この尾高惇忠生家は、江戸時代後期に淳忠の曽祖父礒五郎が建てたものと伝わっており、屋号が油屋と呼称されていた、この地方の商家建物の趣を残す貴重な建造物です。主屋の裏にある煉瓦倉庫は、明治30年頃建てられたといわれ、日本煉瓦製造株式会社の煉瓦を使用している可能性が考えられます。」
「尾高家の人々
尾高惇忠(藍香)
渋沢栄一の学問の師、従兄、義兄。富岡製糸場初代場長。第一国立銀行仙台支店長。
尾高(渋沢)ちよ
淳忠の妹で、渋沢栄一の妻。
尾高(渋沢)平九郎
淳忠の弟で、渋沢栄一の養子となる。飯能戦争で新政府軍に敗れ、22歳で自刃。
尾高ゆう
淳忠の長女。14歳で富岡製糸場の第1号伝習工女となる。」
鹿島神社は、論語の道沿いにあります。
鹿島神社は旧下手計村の鎮守で、渋沢栄一らによって建てられた「藍香尾高翁頌徳碑」などがあります。
<社号標/参道>
<藍香尾高翁頌徳碑> 深谷市指定有形文化財
渋沢栄一らによって建てられた尾高惇忠の人となりや業績を伝える「藍香尾高翁頌徳碑」が建っています。
石碑の上部の題字は、徳川慶喜篆額です。
(説明板)
「藍香尾高翁頌徳碑について
尾高惇忠を敬慕する有志によって建てられたこの碑の除幕式は、明治四十二年(一九○九)四月十八日に挙行されました。
おりから桜花満開の当日、澁澤栄一はじめ穂積陳重、阪谷芳郎、島田埼玉県知事など、建設協賛者である名士多数が臨席されました。その際、尾高惇忠の伝記「藍香翁伝」が参列者一同に配布されたのです。
碑の高さは役四・五メートル、幅は約一・九メートル、まさに北関東における名碑の一つです。石碑の上部の題字は、澁澤栄一が最も尊敬する最後の将軍、徳川慶喜によるものです。碑文は三島毅、書は日下部東作、碑面に文字を刻む細工は東京の石工・吉川黄雲がそれぞれ当たりました。
郷土の宝物であるこの名碑を大切にし、藍香翁はじめ先人の遺徳を偲び、共に感激を新たにいたしましょう。
平成十七年十月」
<拝殿>
拝殿の「鹿島神社」の扁額は渋沢栄一の揮毫です。
「従三位勲一等男爵澁澤榮一謹書」
もう一つの額は、尾高次郎(尾高惇忠の子)の揮毫です。
<神木>
大欅の根元に湧いた神水で共同風呂が設けられ、
渋沢栄一の母、栄はこれを汲みハンセン病患者の背を流したそうです。
現在は大欅は枯れ、井戸も枯れています。
(説明板)
「鹿島神社
下手計の鎮守社で、拝殿には渋沢栄一揮毫になる「鹿島神社」の扁額が掲げられている。
境内には、栄一の師である尾高惇忠の偉業を称える藍香尾高翁頌徳碑が建立されている。
この碑の篆額は徳川慶喜公の揮毫である。また、撰文は三島毅文学博士(号 中洲)、書は日下部東作(号 嗚鶴)によるものである。
今では朽木となったが、大欅の根元に沸いた神水で共同風呂が設けられていた。栄一の母、栄はこれを汲み、らい患者の背を流したと伝えられている。
栄一手植えの月桂樹と長女穂積歌子が植えた橘があり、その由来を記した碑がある。 深谷市」
<三峯講社など>
裏手左には三峯講社、本殿右に八坂神社、本殿裏には香取神社などがあります。
<戦捷紀念碑ほか>
希典書。明治40年2月、八基村が建立しています。
<北の鳥居>
神社裏に建てられた北の鳥居です。
資料展示室は撮影禁止なので、展示室内の画像はありません。
<深谷の三偉人>
(プレート文)
『富岡製糸場と深谷の三偉人』
「深谷市は、平成26年に世界文化遺産に登録された富岡製糸場の設立に深く関わった渋沢栄一・尾高惇忠・韮塚直次郎三氏の偉業を称え、顕彰しています。
渋沢栄一は明治政府において官営製糸場設置を推進し、尾高惇忠は富岡の地にフランス式機械製糸場を竣工、初代場長として運営を行い、韮塚直次郎は富岡製糸場の巨大建造物を支える煉瓦などの資材調達に尽力しました。
※このレリーフは、石坂産業株式会社創業者である石坂好男氏の寄附により制作しました。」
<渋沢栄一アンドロイド>
<渋沢栄一銅像>
「渋沢栄一」銅像は、1995(平成7)年「渋沢記念館」の開館を機に、深谷駅から移設されました。
渋沢栄一記念館の裏手にあります。多目的ホールから銅像のある外に出ることができます。
(プレート文)
「渋沢栄一翁
本像はもと深谷駅頭にありき
昭和六十三年三月、有志千五百有余名の浄財をもとに駅前区画整理事業の完成と翁の顕彰を記念して建立せしものなり
平成七年十月、翁、生誕八基の地に澁澤栄一記念館の落成に伴い、ここに遷座し奉る
この地や、園日に渉り以て趣を成すの如く大いなる発展をとげしも、刀水は悠遠にして、翁、在世の昔も今の如し上毛三山の遠望も又、今も昔もなし
翁没して六十五年、翁の像が故山の風物を眺めて起つは又美しき哉
平成八年十一月吉日 深谷市長 福嶋健助」