Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 ○ 日本庭園高輪廿六夜(グランドプリンスホテル新高輪)
 ○ 柘榴坂(新坂)
 ○ 江戸の殉教者顕彰碑


日本庭園(グランドプリンスホテル新高輪) 港区高輪3-13

 グランドプリンスホテル新高輪内にある日本庭園は、宿泊客以外でも、誰でも自由に散策できます。
 1971年、旧高輪プリンスホテルの新築に伴い造られ、作庭者は皇居新宮殿なども手掛けた楠岡悌二氏によるものです。
 観音堂、鐘楼、山門が港区有形文化財に指定されています。

<日本庭園入口>

   

<日本庭園のご案内>

(案内板)
「日本庭園のご案内
高輪の日本庭園は1971年、旧高輪プリンスホテルの新築に伴い造られたもので、作庭者は皇居新宮殿なども手掛けた故楠岡悌二氏によるものです。
約20,000uにおよぶ庭園内には、四季折々の表情を見せる花木や池のほか、歴史的・美術的にも由緒ある数多くの史跡が点在しています。
都心とは思えない美しい自然につつまれた、高輪の日本庭園散策をごゆっくりとお楽しみください。」

    

<狛犬>

 中国の清朝乾隆時代の狛犬です。柵があり近寄ることができませんでした。

  

<池>

     

 多くの錦鯉が泳いでいます。
  

<さくらばし>

 擬宝珠のある木橋「さくらばし」です。

     

<山門> 港区文化財

 山門は観音堂と同時期に移築、港区文化財です。

   
 

   

 夜は「高輪廿六夜」としてライトアップされます。
     

<青銅燈籠>

 青銅燈籠は、増上寺の徳川将軍家霊廟からの移設です。

   

<さくら坂の鐘> 港区文化財

 鐘楼は明暦2(1656)年の建立、明治34(1959)年に奈良県の念仏寺よりの移築で、港区文化財です。

   

<観音堂> 港区文化財

 観音堂は、奈良県生駒市の長弓寺にあった三重塔の初層と伝えられています。
 昭和11(1936)年に鎌倉市内に移築され、昭和29(1954)年12月19日に現在地に再移築されました。
 十一面観音半跏像(江戸時代前期)が安置されています。

     

  

<石燈籠/石塔>

    

<茶寮 恵庵>

 通行止なっています。

  

<茶室 竹心庵>

  

〇勝利者 ザ・プリンスさくらタワー東京

 ザ・プリンスさくらタワー東京内の螺旋階段1階にあるブロンズ像です。
 「勝利者」(ユジィーヌ・マリオトーン(1844-1919)作)

  

〇さくら坂

 第一京浜から、ザ・プリンスさくらタワー東京に向い、日本庭園入口を左手にすぎ、グランドプリンスホテル新高輪へと続く「さくら坂」です。
 両脇が石垣となっています。

   


高輪廿六夜(ライトアップ) グランドプリンスホテル高輪日本庭園 HP

 江戸時代の「二十六夜待ち」を、グランドプリンスホテル高輪が現代風にアレンジしてライトアップしています。

     

     

     


柘榴坂(新坂) 港区高輪3丁目〜4丁目

 柘榴坂(新坂)は、JR品川駅の西口前から、高輪三丁目と四丁目の間を西に向けて登る坂道です。

   

(標柱)坂下 港区高輪4-10-18
「柘榴坂(新坂)
 ざくろざか 坂名の起源は伝わっていない。ざくろの木があったためか。江戸時代はカギ形に曲がり、明治に直通して新坂と呼んだ。」
 平成二十年十月 港区」

     

(標柱)坂上 港区高輪3-13-1

    

「江戸切絵図」

  


江戸の殉教者顕彰碑 港区高輪4-7-1カトリック高輪教会

 柘榴坂上にあるカトリック高輪教会に「江戸の殉教者顕彰碑」があります。

    

    

(説明板)
「江戸の大殉教
 1623年12月4日、徳川3代将軍家光は外国人宣教師を含む50名のキリシタンを、迫害政策により江戸市中を引き回したうえ、ここから近い札の辻の小高い丘で火刑に処しました。以後数年にわたり、女性や子供・キリシタンをかくまった人々も巻き込み、かの地で100人近くが処刑され、江戸全体では2,000人が殉教しました。世にいう「江戸の大殉教」です。
 その中の一人ヨハネ原主水(もんど)は2008年、信仰の証し人として、教皇ベネディクト16世の裁可により福者に列せられました。
 この顕彰碑は1956年、刑場跡である三田の智福寺境内に有志が建立し、その後この地に移されました。
 当教会は「殉教者の元后聖マリア」に捧げられ、毎年11月には記念祭を行っています。」

   


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