Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 東京駅 丸の内南口

  〇 東京駅丸の内南口
  〇 浜口首相遭難現場
  ○ 動輪の広場(丸の内地下南口改札外)



東京駅丸の内南口 千代田区丸の内1-9-1

<東京駅丸の内駅舎>

(掲示)
「東京駅丸の内駅舎では、お客さまの安全と重要文化財である建物を地震から守るため、免震工法を採用しています
 地震発生時に建物全体がゆっくり動くことがありますので、ご注意ください(最大30cm程度)」

  

<保存レリーフ>

(説明板)
「保存レリーフ【ほぞんれりーふ】
創建時の壁面装飾レリーフを保存
昭和20年5月の空襲により焼けてしまったものを今工事において一度取外し補強した上で再取付した 復原レリーフと区別するため塗装を施さず素地のままとした また、復原したレリーフの型としても利用した」

    

浜口首相遭難現場> 千代田区丸の内1-9-1改札外切符売り場

(プレート文)
「浜口首相遭難現場
 昭和5年11月14日 午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は、岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特急「つばめ」号の1等車に向ってプラットホームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった。かけつけた医師の手によって応急手当が加えられ、東京帝国大学医学部付属病院で手術を受け、一時は快方に向ったが翌昭和6年8月26日死去した。犯人は、立憲民政党の浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、凶行におよんだものといわれている。」

  

<パネル展示>

 4枚のパネル「明治の頃」「大正の頃」「昭和の時代」「東京駅誕生から百年」が展示されています。

   

(説明板)
「明治の頃 鉄道網の広がりと日本の近代化
 1872(明治5)年、日本で最初の鉄道 が新橋?横浜間に開業しました。木骨石造の新橋停車場は、西洋建築がまだ珍しかった時代に日本の近代化を象徴する場所となりました。
 その後、新橋?神戸間、上野?青森間が全線開業するなど、日本の鉄道網は急速に発展し、1906(明治39)年の鉄道国有法の公布を経て、鉄道網は全国的に広がりました。
 首都・東京も急速な変化と拡大をとげ、1888(明治21)年には日本初となる大規模な都市計画「東京市区改正条例」が公布されました。翌年、南北に離れて位置するターミナルの新橋駅と上野駅を結ぶ市街高架線を建設するとともに、東京市の中央に停車場を設置する旨が決定されました。市街高架線では烏森駅、万世橋駅が開業するなど、鉄道の発展はますます目覚しく、日本の近代化を推進する大きな力となりました。
(協力:東日本旅客鉄道株式会社 製作:公益財団法人東日本鉄道文化財団)」

(説明板)
「大正の頃 近代国家の形成・東京駅開業
 中央停車場(東京駅)は、ドイツ人技師バルツァーの基本計画を元に、唐津藩(現在の佐賀県唐津市)出身の工学博士・辰野金吾 の設計により、1908(明治41)年に着工しました。三菱ヶ原と呼ばれた広大な土地に、基礎の松丸太を打ち込み、鉄骨を組み、埼玉県産のレンガや宮城県産のスレートなどを用いました。そして近代国家として目覚しい発展を遂げた日本の首都・東京の玄関にふさわしい建物が6年の歳月をかけて完成し、1914(大正3)年12月20日に開業しました。
 東京駅は日本の鉄道の起点駅になりました。1923(大正12)年に関東大震災が発生した際にも、頑丈な構造の東京駅の駅舎に大きな被害はありませんでした。1925(大正14)年には上野駅まで線路がつながり、東北本線の起点にもなったほか、電車による環状運転(現在の山手線)も始まりました。
(協力:東日本旅客鉄道株式会社 製作:公益財団法人東日本鉄道文化財団)」

(説明板)
「昭和の時代 戦前、戦中そして復興へ
 東京駅は、郊外と直接結ばれた通勤輸送で賑わうとともに、長距離輸送の拠点としても発展していきました。1929(昭和4)年、東京駅発の特急「富士」「桜」が運転を開始、その翌年には“超特急”「燕」も走り始めました。これらの特急から船に乗り換えて大陸へ渡り、鉄道で遠くヨーロッパまで行くことができました。
 しかし、戦争が激しくなるとともに特急は姿を消しました。1945(昭和20)年5月25日から26日にかけて、東京駅は空襲を受けて内部が全焼し、南北のドーム部分は焼け落ちました。
 戦後の応急的な復興工事で、丸の内駅舎は安全性に配慮し3階建てから2階建てに、ドームの丸屋根は八角形のピラミッド形に姿を変えました。その後、八重洲口駅舎も整備されました。その後、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催や東海道新幹線開業等を経て、大きく発展を遂げた日本の鉄道の拠点として存在感を増していきました。
(協力:東日本旅客鉄道株式会社 製作:公益財団法人東日本鉄道文化財団)」

(説明板)
「東京駅 誕生から百年 保存・復原工事完成〜より速く より遠くへ より快適な旅を
 平成時代に入ってからも、1991(平成3)年に東北・上越新幹線が乗り入れを開始するなど、東京駅は発展を続けてきました。その中で、丸の内駅舎は2003(平成15)年に国の重要文化財に指定され、2007(平成19)年に、現存する部分を可能な限り保存するとともに、戦災等で失われた部分を創建当時の姿に復原する工事に着手しました。大正から昭和そして平成へ、震災や戦災という幾度の試練をくぐりぬけ、姿を変えてきた駅舎は、2012(平成24)年に工事が完成し、風格ある都市景観を形成することとなりました。
 また、今回の保存・復原工事完成からおよそ100年前の人々が成し遂げた、近代化を象徴する偉業を今に伝えながら、駅として重要な「安全・安心・快適」を実現する機能も備えました。最新の免震構造など現代日本が誇る技術を導入し、進化を遂げています。これからも東京駅は、日本の首都・東京の玄関として皆様と共にあゆみ、文化を発信し、激動の歴史と人々の思いを次の世代に伝え続ける役割をはたしていくことでしょう。
(協力:東日本旅客鉄道株式会社 製作:公益財団法人東日本鉄道文化財団)」


動輪の広場 千代田区丸の内1-9-1 B1F(改札外)

 動輪の広場が、東京駅地下1階の丸の内地下南口改札前にあります。
 C62-15型蒸気機関車の動輪が飾られています。

    

    

(左プレート文)
「この地下駅は、次代をめざし、鉄道100年の技術を結集して完成した。
  1972年7月15日 日本国有鉄道」

  

(右プレート文)
「C62形蒸気機関車
“みなさんの足”として親しまれてきた国鉄は、今年で創業100年を迎えました。蒸気機関車は、この歴史とともに歩んできました。第2次世界大戦で戦災を受けた東京駅が修復された昭和23年に、これと時を同じくして誕生したC62形蒸気機関車は、日本復興のエースとして活躍し、世界最高の時速129キロを記録するなど、技術の粋をあつめた“栄光の名機”とうたわれました。
 このC6215号機は、東海道、山陽、函館本線などをかけめぐり、昭和46年12月解体されるまで、約263万キロ(地球を65.7周)を走り続けました。“鉄道100年”に完成したこの東京地下駅に、同機の動輪をかざり、その歴史をたたえることとしました。
  昭和47年7月15日 日本国有鉄道」

  


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