蟠龍山天寿院長慶寺と号します。
松尾芭蕉句塚跡(江東区文化財)があります。
<本堂>
<近代小学校発祥地>
(標柱)
「近代小学校発祥地 東京府小学第六校 深川小学校誕生之地」
「明治二年二月。明治政府ハ「府県施政順序」ヲ交付、「小学校ヲ設ケル事」ヲ命ズ
明治三年六月二十八日。東京府ハ深川森下長慶寺ニ「東京府小学第六校」ヲ設置。
明治四年十二月。文部省ハ小学第六校ヲ「文部省直轄小学校」トスルコトヲ布達
明治五年八月。政府ハ「邑ニ不学ノ戸ナク家ニ不学ノ人ナキヨウニ」ト「学制」公布
明治六年五月。「官立小学第六校」ヲ「第六中学区一番小学深川学校」ト命名。
平成十五年五月吉日
深川小学校開校百三十周年記念 校友会
十代目 石幸刻」
【松尾芭蕉句塚ほか】
山門を入ると右手に手前から「宝晋斎其角墓」「芭蕉翁桃青居士」「玄峰嵐雪居士」と並んでいます。
戦災で損傷したため、三基とも再建です。
<宝井其角墓>
一番右は、宝井其角の墓で「宝晋斎其角墓」とあります。
<松尾芭蕉句塚>
芭蕉が没した元禄7(1694)年に芭蕉の門人たちが芭蕉の落歯・発句を埋めて句塚を建てました。
(表面)「芭蕉翁桃青居士」
(側面)「世にふるも更に宗祇の時雨哉 桃青」
<服部嵐雪>
一番左は、服部嵐雪の墓で「玄峰嵐雪居士」とあります。
「芭蕉翁句塚跡」(江東区文化財)「宝井其角の墓」
「芭蕉翁句塚跡」は、台座の一部が残っているだけです。
「宝井其角の墓」の墓石は「角墓」の部分しか残っていません。
<釈迦十六善神像> 江東区文化財
山門前に、「釈迦十六善神像」の説明板があります。
(説明板)
「江東区指定有形文化財(絵画)
絹本着色釈迦十六善神像 一幀
この釈迦十六善神像は、本紙を幀貼装にしたものです。本紙は縦一一四・八cm、横五七・三cm。幀貼装は縦一三八・九cm、横七三・九cmです。
十六善神とは、「大般若経」およびその経の愛持者を守る十六種の守護神です。釈迦十六善神像は、鎮護国家・除災招福のため宮中や諸大寺において行われた「大般若経」を転読する大般若会の本尊として祀られました。仏画としては基本的なもので、平安時代末からみられますが、特に鎌倉時代から室町時代にかけて多く描かれ、全国に作例が残されています。
画像は、蓮華座に坐す釈迦如来を中心に、その左右に獅子に乗る文殊菩薩と白象に乗る普賢菩薩、法涌菩薩と常啼菩薩、経巻を積んだ笈を背負う玄奘三蔵と鬼神形の深沙大将を対にして並べ、その外側に十六善神を二分して配置しています。
本像は、描線の力強さや、迫力のある造形性、濃厚で鮮やかな彩色などから桃山時代後期から江戸時代初期のものと推定されます。中世にまでさかのぼる作例がほとんどみられない江東区にとって貴重な作品といえます。
平成十年八月 江東区教育委員会」
<三界萬霊塔>
<地蔵>
<貞亨3(1686)年銘の供養塔>
<元禄16(1703)年銘の供養塔>
<その他>
<慰霊碑>
本堂前に慰霊碑があります。