○ 銀座1丁目 別頁
○ 銀座発祥の地/銀座役所跡(銀座2丁目)
○ 煉瓦街(銀座3丁目・4丁目)
・朝野新聞社
・秋葉商店
○ 真珠王記念碑
○ セイコーハウス銀座
ティファニー銀座本店前(中央区銀座2丁目)の歩道に建つ「銀座発祥の地 銀座役所跡」です。
ここに慶長17(1612)年、銀貨幣を造る銀座役所(銀貨幣鋳造所)が駿府の両替町から移転しました。
すでに日本橋にあった「金座役所」が両替町と呼ばれていたため、この地は新両替町と呼ばれました。
新両替町は、通称は銀座町と呼称され、今日の銀座のはじまりです。
(碑文)
「銀座発祥の地 銀座役所跡」
「慶長十七年(紀元二二七二年 西暦一六一二年)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す 当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ 明治二年遂に銀座を町名とする事に公示さる
昭和三十年四月一日建之 銀座通聯合会」
「銀座文化碑3 青山石勝刻」
「江戸切絵図」
新両替町一〜四丁目部分の抜粋です。現在の銀座一〜四丁目に当ります。
「銀座巻物 銀座御用蔵」(国立国会図書館蔵)
銀座巻物には銀座での貨幣鋳造工程が描かれています。巻頭の銀座御用蔵部分の抜粋です。
「銀座通夜景」(井上安治 明治10年 国立国会図書館蔵)
煉瓦街の銀座4丁目の京屋時計店銀座支店時計塔附近を南方向に眺めて描かれています。
時計塔は明治9(1876)年に造られ文明開化の象徴でしたが、大正2(1913)年に店舗とともに取り壊されました。
通りには、ガス灯が灯り、街路樹の柳が見えます。
「銀座商店夜景」(井上安治 明治15年 フリー画像)
煉瓦街の銀座3丁目で中川幸七が営む缶詰屋の店先が描かれています。
「東京名所銀座通朝野新聞社盛大之真図」(三代広重 明治12年 都立図書館蔵)
銀座の朝野新聞社(現在のセイコーハウス銀座の場所)を描いています。
朝野新聞は明治7(1874)年に前身の「公文通誌」を改題して発行された東京の日刊紙で、明治26(1893)年まで発行されていました。
成島柳北が社長兼主筆を務め、後に末広鉄腸が加わり論説を担当しました。
明治9(1876)年に銀座へ移転してきました。
人力車に乗るのが成島柳北(「ボク上漁史」)、中央で背を向けるのが末広鉄腸(「末広重恭」)です。
多くの人名が記されています。
「成島柳北肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」、「肖像」(野村文紹 国立国会図書館))
天保8年2月16日(1837年3月22日)〜明治17(1884)年11月30日)
こちらで記載
「末広鉄腸肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
嘉永2年2月21日(1849年3月15日)〜明治29(1896)年2月5日
「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」(三代広重 明治15年 都立図書館蔵)
画面左手に「朝野新聞」(現在はセイコーハウス銀座)、画面右手に「東洋日報」の社屋が描かれています。
当時の各新聞社は、次第に銀座に集まり、銀座4丁目角に各社が陣取り、銀座の煉瓦通りは新聞街とも言われました。
明治15(1882)年に営業を開始した 「東京市街鉄道馬車」が描かれています。
街頭のガス灯は明治7(1874)年に完成しました。
朝野新聞の隣りに、秋葉大助が経営する人力車製造所の看板が見えます(現在は銀座木村屋)。
「秋葉商店」(東京模範商工品録 明治40年 国立国会図書館蔵)
京橋区銀座4丁目に「秋葉商店」、本所区菊川町2丁目に「秋葉工場」がありました。
<明治3(1870)年営業開始>
明治3(1870)年3月24日に、人力車を発明した3人(鈴木徳次郎、高山幸助、和泉要助)に、
東京府より人力車の製造・営業の許可がおり、営業を始めました。
当初は話題になりません。そこで日本橋の高札場の下に人力車を置き、親類や家族を客に仕立て引いて回ったところ、客がつくようになりました。
日本橋を宣伝場所に用いた効果は絶大で、人力車は東京中、日本中に普及していきました。
「東京日本橋風景」(歌川芳虎 明治3年)
銀座通連合会が建てた四基の銀座文化碑のうち、一番最初の碑です(番号は振られていません)。
養殖真珠の創始者で真珠王の御木本幸吉翁の記念碑です。
(碑文)
「真珠王記念碑」
「銀座文化碑
御木本幸吉翁は本年九十五歳養殖真珠の創始者で真珠王の名は全世界に及んでゐる當處南北十間の地は翁の店舗の場所である
昭和二十八年四月 銀座通聯合會」
「鈴木寛一書 青山石勝刻」
○セイコーハウス銀座 中央区銀座4-5-11 HP
令和4(2022)年6月10日、銀座四丁目交差点にある和光本館がリニューアルされ、
「SEIKO HOUSE GINZA(セイコーハウス銀座)」に名称変更されました。
「和光」は、明治14(1881)年に創業した「服部時計店」(現:セイコーグループ株式会社)から小売り部門を継承し、
昭和22(1947)に創立されています。
服部時計店は、明治27(1894)年に銀座4丁目の朝野新聞社屋を買い取り時計塔を増築し翌年に完成しました。