Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 新橋 航空会館

  ○ 航空神社
  〇 リンドバーグ夫妻
  〇 日伊親善飛行記念品
  ○ 蒼天
  〇 刻字レリーフ「九光和同」


航空神社 港区新橋1-18-1 航空会館9階 HP

 「日本航空協会」の前身である「帝国飛行協会」が、昭和4(1929)年に現在地に飛行館を建設しました。
 飛行館は老朽化により建て替え、昭和53(1978)年に現在の航空会館が竣工しました。
 航空神社は昭和6(1931)年に「帝国飛行協会」によって飛行館の屋上に建立されました。
 「明治神宮」造営の残木を拝受し、社殿が造営されました。御祭神は航空殉職者や航空功労者となっています。
 羽田空港内に鎮座する「羽田航空神社」(昭和38年創設)は当社からの御分霊となっています(こちらで記載)。

     

<エレベーターホール/授与品/展示>

 9階でエレベーターを降りると航空神社の授与品が並んでいます。
 御朱印は自分で日付を入れるセルフサービスとなっています。

    

(掲示)
「航空神社とは
 多くの航空殉難者の英霊を敬弔しその功績を讃えるため、明治神宮社殿造営の残り木を拝受し、昭和6年に航空神社が建立されました。航空殉職者、航空功労者を霊爾簿に書き入れ祭神とし、霊爾簿総数は6,367柱になります。昭和38年には羽田空港の羽田航空神社創設に伴い、祭神分霊祭を挙行致しました。
 昭和57年、鎮座50年を機に航空神社の祭祀を従来の祭神慰霊の神社から、航空平安祈願祭の神社へと転換し、航空関係者や旅行者の安全を祈願しております。昭和58年、航空会館屋上に航空神社新社殿落成、竣工祭、遷座祭挙行しました。
 長年、航空安全や航空渡航の安全を多くの方が祈祷され今日に至りますが、航空業界の就職を目指す方をはじめ、空の安全=落ちないと、受験合格祈願でご参拝頂いております。
 毎年1月7日に新年祭、9月20日の空の日に例大祭を挙行し、例大祭には多くの航空関係者の方々にも参列頂いております。」

  

(掲示)
「航空神社抄史
一 昭和六年八月一日、帝国飛行協会理事会で航空神社創設を決議。
二 明治神宮造営残木を拝受。同年九月初起工、十一月初竣工、十一月七日、帝国飛行協会飛行館屋上に於いて新総裁梨本宮守正王殿下ご参列のもと靖国神社賀茂宮司斎主となり、盛大な鎮座祭執行。
  合祀祭神 航空殉難者三百二十五柱、霊璽簿作成。
三 昭和十九年?昭和二十七年 神社祭中断。
四 財団法人 日本航空協会発足により昭和二十八年 航空神社祭復活。
五 昭和三十八年度崇敬者総代会発足、航空功労者を合祀することとなる。
六 昭和三十八年七月、 羽田航空神社創建に伴う祭神分霊祭を挙行。
七 昭和四十九年九月二十日 航空神社神霊を靖国神社境内「鎮霊社」に仮奉安のための遷座祭を執行後、仮奉安先の鎮霊社社前で合祀祭および恒例祭挙行。爾後五十七年まで八年間、鎮霊社社前で例祭挙行。
八 合祀祭神 航空殉難者、航空功労者を含め、霊璽簿総数六千三百六十七柱。
九 昭和五十六年九月 靖国神社鎮霊社に於いて航空神社鎮座五十年祭挙行。
十 昭和五十七年以降、航空神社に関する祭事はすべて航空神社奉賛会に移る。航空神社の祭祀を従来の祭神慰霊の神社から航空平安祈願祭の神社へと転換。
十一 航空神社奉賛会が主導する募金活動ににより、昭和五十八年年八月航空会館屋上に航空神社新社殿落成。同年八月二十五日、竣工祭並びに遷座祭挙行。
十二 昭和五十九年度より毎月第一火曜日を月次祭の日(一月の新年祭は仕事始めの日)と定め、従来の九月二十日を例大祭の日とし、毎回靖国神社神職の出張奉仕により、毎月航空平安祈願祭を行う、新たな航空神社奉斎方式を定める。
十三 平成十四年度より、月次祭を一月の新年祭と九月二十日例大祭の奉仕とする。」

  

リンドバーグ夫妻写真>

 昭和6(1931)年、帝国飛行協会(日本航空協会の前身)はリンドバーグ夫妻を飛行館に招待し白色有功章を授与しました。

(説明板)
「チャールズ.A.リンドバーグ(1902−1974)
 1931年(昭和6)7月リンドバーグは夫人を伴いワシントンを出発、ロッキード、シリウス号水上機で北太平洋1万2,500キロを飛び、霞ヶ浦海軍飛行場に飛来しました。
 リンドバーグ夫妻滞日中の8月28日帝国飛行協会(日本航空協会の前身)、橋本圭三郎副会長は、同夫妻を竣工間もない“飛行館”に招き、白色有功章を贈呈し、その業績を讃えました。
 写真:リンドバーグ夫妻に有功章を贈る橋本副会長(1931.8.28)
 写真、額の寄贈:CHARLES.E.DUFFY
 財団法人 日本航空協会」

    

日伊親善飛行記念品>

 日独伊三国防協定の締結を記念し、大日本航空株式会社の三菱双発輸送機「大和号」は、
 9名の乗務員のほか国粋義勇隊飛行隊長笹川良一(ムッソリーニを崇拝)ら3名を乗せて、
 昭和14(1039)年12月23日に羽田飛行場を離陸しローマへの日伊親善飛行を行いました(帰還は翌年1月23日)。
 その時にイタリアムッソリーニ首相より贈られた記念品が置かれています。

(プレート文)
「昭和十四年 日伊親善飛行記念品
 戦前のわが国航空技術水準の象徴として、軍官民の技術力を集結し開発した長距離機「三菱双発輸送機」“大和号”は、性能試験を兼ね昭和十四年十二月、東京‐ローマ両首都間往復二九六一一粁を飛翔し日伊親善飛行に成功、その目的を果たした。
 この彫刻は、当時のイタリアムッソリーニ首相から、大日本航空株式会社に贈られた記念品である。同社の終戦解散により、今日まで国際航業株式会社に保存されて来たが、歴史的記念品として当協会において保管することとなったものである。
  昭和五十九年七月 財団法人 日本航空協会」

   

(参考)「ルーパ・ロマーナ」こちらで記載
 日比谷公園に、昭和13(1938)年3月31日に日伊親善のため、イタリア首相ムッソリーニから
 東京市へ寄贈された「ルーパ・ロマーナ」像があります。

<神社案内>

 参拝時間は
 月曜日〜金曜日 9時〜20時
 土日祝 9時〜17時

 案内に沿って進み屋上へ出るための扉を開けます。

     

<航空神社社殿>

 手水鉢があり、社号標「航空神社」があります。

    

 現在の社殿は昭和58(1983)年の造営です。

   


蒼天

 航空会館の前に浦山一雄彫刻「蒼天」像があります。
 昭和53(1978)年に航空会館が竣工した時に創られました。
 人間と天を結ぶ愛情のシンボル天女の像です。

   

 「寄贈 鹿島建設株式會社 清水建設株式會社
  彫刻 浦山一雄」

  

刻字レリーフ「九光和同」

 玄関正面の大理石に安岡正篤氏撰文「九光和同」が加藤尾光峰氏の揮毫で刻まれています。
 天と地と人間との調和を希う人々の航空への憧憬を九光和同の文言で表現しています。
 昭和53(1978)年の設置です。

    


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