「大田南畝」(肖像2之巻 野村文紹)
寛延2年3月3日(1749年4月19日)〜文政6年4月6日(1823年5月16日)
父は幕府の御徒として番所に務めました。17歳で家督を継ぎ、70余歳まで幕府の御徒・支配勘定役などを務めました。
この間文人として、狂歌・狂詩のほか洒落本・黄表紙・漢詩文・随筆などに才筆をふるい、500冊を著しました。
別号の蜀山人としても知られます。
(参考)
○ 蜀山人の碑(上野公園)
○ 采女塚碑(台東区清川)
○ 狂歌碑(多数)