○ 月山 湯殿山 羽黒山 百番札所
(地蔵院)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 西國
坂東 秩父 (真福寺)
○ 羽黒山 湯殿山
月山 坂東 西國 秩父 (大熊家地蔵堂)
○ 月山 湯殿山 羽黒山 西國
秩父 坂東 (法福寺)
箱崎山地蔵院錫杖寺と号します。
足立百不動尊霊場29番です。
日光御成道から赤山街道への分岐点、参道入口に出羽三山供養塔道標があります。
(正面)「四國八十八箇所徙 五十九番 地蔵院」寺標
(右面)「従是 古し可や道 二リ」道標
(左面)「月山 湯殿山 羽黒山 百番札所 四國?禮 供養塔」供養塔
(裏面)年号と願主が刻まれています。文政5(1822)年の建立。
<山門〜境内〜本堂>
(説明板)
「地蔵院縁起、
当寺は箱崎山錫杖寺地蔵院と称す
聖武天皇の時代より千百年の歴史
本尊地蔵菩薩は行基伝(平安期)
慈覚大師の守本尊・秘仏地蔵尊也
子育地蔵菩薩は埼玉六地蔵の二番
安産観音は足立坂東霊場二十九番
平和不動は足立百不動の二十九番
修行大師は新四国霊場の五十九番」
<良縁地蔵>
正徳元(1711)年銘の「良縁地蔵」が祀られています。
(説明板)
「良縁地蔵の昔話
ある日、村のお大尽のおかみさんがお寺に相談にきました。「息子に良い縁談があるのに、村の娘と仲良くなってその娘を嫁にほしいというので、どうか、別れさせてほしい」というのです。
禅海和尚の「境内のお地蔵さまにお願いしてみなさい」という答えにおかみさんは地蔵院へ通って、息子が悪い夢から覚めるように祈りましたが、息子はますます娘への愛を強めるばかりです。
満願の日、和尚さんは「悪い縁ならお地蔵さまが切ってくださるはず、今日一日良くお願いをしなさい」と申されました。おかみさんは熱心に祈りました。ところが拝んでいるうちに、村娘のよく働く姿や、素直なこと、優しい笑顔がつぎつぎと心に浮かんできて息子が最も良い人を選んでいたと思えてきました。
顔をあげると、石のお地蔵さんがにっこりと微笑まれ「ようやく分かったね。良い縁を切ってはいけないよ」という声がおかみさんの心に響いたのでした。」
<不動明王立像>
毎月28日午後2時からのご開帳以外の時は、お身代わりの像が祀られています。
(説明板)
「埼玉県指定有形文化財 彫刻 木造不動明王立像 川口市桜町五ー五ー三十九 地蔵院 昭和五十五年三月二十九日指定
本像はヒノキ材の寄木造りで、目は玉眼をはめ込み、元々は彩色が施されていたと見られますが、現在は古色仕上げとなっています。
座高五十三センチメートルと小型の像ですが、堂々とした体つきの肉取りや写実的で布のひだの巧みな彫り方などから、鎌倉時代前期、十三世紀半ばに近い頃の製作と推定されています。全体的に保存も良く、後の修復部分も着衣の一部に留まっています。
その怒りと祈りの力強さが溢れる姿には、次の二つの特色が見られます。
一つは、右腕を振り上げ宝剣を肩にかつぐように捧げ、今にも振り下ろそうとしている姿で、他に例を見ません。もう一つは、頭髪の形で、髪の毛が風を受け東部の左側になびくような斬新で躍動感のある造形となっています。
作者については不明ですが、その様式や手法から鎌倉時代に主流を占めた運慶・快慶に代表される慶派仏師の手になるものと推定されることから、本県のみならず関東地方における慶派様式の流入と受容を考える上で大変貴重な作例と、高く評価されています。
平成二十一年八月二十八日 埼玉県教育委員会 川口市教育委員会」
<タブノキ>
川口市指定天然記念物。推定樹齢およそ600年です。
(説明板)
「川口市指定天然記念物 タブノキ
川口市桜町五ー五ー三十九地蔵院境内
昭和三十七年三月二十六日指定
タブノキは、クスノキ科の常緑高木で、本州(青森県以南)・四国・九州・沖縄から台湾・中国に至る暖帯から亜熱帯に広く分布し、主として沿岸地域に多く群生しています。
一般的には、高さ十五から二十メートル、直径約一メートルほどの大木になります。樹幹は直立し、枝条は太く横に広がり、こんもりとした丸みのある大きな樹冠を持つのが特徴です。葉は、長さ八から十五センチメートルの長楕円形で、表面には光沢があります。三から五月にかけて、黄緑色の小さな花が数多く咲き、七から八月には、黒紫色に熟した径一センチメートルほどの球形の実を付けます。
このタブノキは、幹回り約六メートル、高さは約二十メートルもある市内屈指の大木です。
平成十二年一月三十一日 川口市教育委員会」
小谷三志の墓所があります。
小谷三志は、江戸時代後期に富士講を深め、不二道を新たに立ち上げました。
小谷三志の立派な墓を建ててくれるなとの遺言に従い、自然石を二つ重ねて墓石としています。
左の碑 従五位贈位記念に建てられた顕徳碑で、銘文は、当時の埼玉県知事黒田忠彦によるものです。
左後方 三志の長女いち(鵜殿令行)とその子供の鵜殿正親の墓です。
右後方 三志の先師参行禄王の石碑です。
<女性による富士山初登頂ー1832年>
小谷三志は、女性による富士山初登頂を富士講の高山たつが成し遂げることに、多大の役割を担いました。
高山たつは天保3(1832)年に富士山への登頂を達成しました。
境内に読売新聞(2019年12月10日夕刊)の記事が掲示されています。
<旧鳩ヶ谷市マンホール蓋>
山門右手に社号塔。文化2(1805)年造立。「四國八十八箇所移
六十二番真福寺」。
足立百不動尊霊場91番です。
駐車場は本堂裏手にあり、広いです。
<大師像>
<観音堂>
<本堂>
<出羽三山等供養塔>
山門入ってすぐ左手に2基の石塔があります。
左が出羽三山等供養塔。
「月山 湯殿山 羽黒山 西國 坂東 秩父 奉順拝光明真言三百萬遍供養塔」
嘉永2(1849)年造立。川口善光寺などとも刻まれており、道標を兼ねています。
<庚申塔など>
墓地入口に小堂が2つあり、庚申塔と六地蔵が祀られています。
庚申塔は享保5(1720)年の造立、邪鬼は合掌しています。
六地蔵の右手に3基の石塔が並んでいます。
左:「不動明王像道標」嘉永5(1852)年12月造立。
正面: 「成田山」
左側面:「左 鳩ヶ谷道」
右側面:「右 江戸道」
中央:「羽黒山 湯殿山 月山 奉納 坂東 西國 秩父百番」
寛文7(1667)年の造立。
右:庚申塔。宝暦4(1754)年の造立。
足立百不動尊霊場92番です。
<出羽三山供養塔道標>
山門から参道に入ると、参道左手に、文化12(1815)年銘の出羽三山供養塔道標があります。
(正面)「月山 湯殿山 羽黒山 西國 秩父 坂東 供養塔」
(台石正面)「大ミみや江 三里半
与のへ 三里半
うらわへ 二里半」
(台石右面)「せん住へ 三里
日本者しへ 五里
とねりへ 一里」
(台石左面)「そう加江 二里
こしがやへ 二里
大門へ 二里」
(台石左面は植木が密接して確認困難、資料による)
<庚申塔等>
左端から地蔵菩薩と二基の文字庚申塔、文化14(1817)年銘の「七観世音大士」、享保18(1733)年銘の馬頭観世音、安永10(1781)年銘の庚申塔があります。