Discover 江戸史蹟散歩
 
 出羽三山信仰 越谷市

 [西部]
  ○ 月山 湯殿山 羽黒山 供養塔    迎攝院(宮本町)
  ○ 月山 湯殿山 羽黒 188所供養塔  観照院(七左町)
  ○ 羽黒 湯殿山 月山 供養塔     石神井神社(西新井) 
  〇 月山 湯殿山 羽黒山 供養塔    一乗院(三野宮)
  ○ 月山 湯殿山 羽黒山 供養塔    袋山観音堂墓地(袋山)
  〇 月山 湯殿山 羽黒山 三社大権現  路傍(恩間新田)


迎攝院 越谷市宮本町2-54

 元荒川右岸沿いに迎攝院(こうしょういん)の入口があり、山門手前の右手に4基の石塔が並んでいます。
 山門くぐり右手に「弘法大師宝号塔」(文政4(1821)年)と「宝篋印塔」(文化2(1805)年)が並びます。
 正面の本堂右手に「台徳院殿尊前石燈籠」(寛永9年)が1基あります。

    

    

<出羽三山供養塔>

 4基並ぶ石塔の一番左に出羽三山供養塔があります。

 「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」(正面)
 「天下泰平 國土安全」(右側面)
 「埼玉郡四町野村講中」「大先達 大乗院」(左側面)

     

<庚申塔2基>

 続いて左から、元禄13(1700)年の庚申塔、享保7(1722)年の庚申塔です。

     

<台徳院殿尊前石燈籠>

 芝増上寺から移築された「台徳院殿」の石燈籠が1基あります。
 台徳院殿尊前と刻まれた面が後ろになって据えられていて、正面から見ると文字は見えません。
 2代将軍・徳川秀忠が逝去した寛永9年の7月24日に奉献されています。
 以前、林光院(台東区)で見た台徳院の奉献石燈籠より、
 勘違いでなければ、一際高さが抜きん出ていて大きな燈籠です。
 西福寺(川口市)にも台徳院の燈籠があります。これらは様式が同一です。

     

<寺領寄進朱印状>

(説明板)
「越谷市指定 有形文化財 古文書
  寺領寄進朱印状 
 迎攝院は、天文四年(一五三五)に賢榮が中興開基したといわれる真言宗寺院である。当寺は、古くから越ヶ谷郷の総鎮守越ヶ谷久伊豆神社や越ヶ谷中町の鎮守中町浅間神社などの別当寺であった。
 天正十九年(一五九一)十一月、徳川家康より寄進寺領高五石の朱印状が交付され、以来将軍の代替りごとに交付された朱印状全十二通が保存されている。
 徳川将軍によるこれら全十二通の寺領朱印状が現存しているのは、市内では当寺のみである。
  平成二十七年十月  越谷市教育委員会」

  


観照院 越谷市七左町7-278

 日映山観照院と号します。当地を開発した会田七左衛門政重が開基となり元和2(1616)年に創建されました。
 武蔵国八十八ヶ所霊場21番です。

      

    

    

<木造会田七左衛門夫婦坐像>(越谷市指定有形文化財)

(説明板)
「越谷市指定有形文化財 彫刻 木造会田七左衛門夫婦坐像 昭和五十七年二月二十三日指定
 会田七左衛門政重像は、像高六十・五cm、妻の像は、像高五十四cm。ともに寄木造りである。七左衛門政重は観照院の開基で、市内でこのような像が残っているのは珍しい例である。
 夫婦とも剃髪、道服姿(僧衣)で、夫は指を組み、妻は指をのばして、ともに合掌している。絵画作品を見るような落ち着きを持った像である。画像が個性的なことから、没年の寛永十九年(一六四二)からまもなく、夫婦の徳を追慕して像立されたものと思われる。
 会田七左衛門は天正九年(一五八一)の生まれで、元和年間(一六一五〜二四)に関東郡代伊奈氏に仕官し、当時市内出羽地区のうち沼沢地帯であった七左衛門(七左町)・腰巻(新川町)・大間野(大間野町)などの地を新田に開発した。このうち七左衛門村の村名は会田七左衛門の名を取って付けられたものである。
 当寺本堂に安置されている。
  平成十四年三月 越谷市教育委員会」

  

<出羽三山等供養塔>

 参道入ってすぐ右手に2基の石塔があり、左に出羽三山等供養塔があります。
 「月山 湯殿山 羽黒 西國 坂東 四國 秩父」
 「奉順拝一百八十八所供養塔」天保11(1840)年造立。

    

    


石神井神社 越谷市西新井314

出羽三山供養塔>

 石碑が3基並んでいます。出羽三山供養塔が中央にあります。

 「羽黒 湯殿山 月山 供養塔」文化9(1812)年8月造立。
 「埼玉郡越谷領後谷村」「大先達 大乗院」「天下泰平五穀成就」
 羽黒が一番右に刻まれているのが珍しい。

    

   

 左「青面金剛庚申塔」寛成4(1792)年造立。

  

 右「不動明王三尊像」「成田山」「埼玉郡越谷領後谷村」「天下泰平 村内安全」
 嘉永4(1851)年の造立です。
 保存状態が良いのは、以前は祠の中に納められていたためでしょう。

    

<庚申塔2基>

 社号標から参道入ってすぐ、庚申塔が2基あります。
 その先に、北前稲荷神社から移設された石碑が3基並びます。

    

 左「青面金剛庚申塔」「西新井村講中」。嘉永3(1850)年造立。

   

 右「青面金剛庚申塔」。万延元(1822)年造立。

   

<石神井神社>

 手水鉢は文化10年銘。狛犬と燈籠は真新しいです。
 「龍吐水」(火事の時に使われた手押しポンプ)がありました。

     

    

<天満宮、稲荷神社、日枝神社、三峰・大山神社>

       

富士塚>

 丸岩講の笠印の富士講碑があります。
 山頂には「浅間大神」。ちょっと下に「磐長姫命」。

    

    

<凱旋記念碑>

 「埼玉県埼玉郡荻島村大字西新井
  明治三十七八年日露戦役従軍者連名」
  明治39年11月の建立です。
  忠魂碑ではなく、凱旋記念碑とあるのが珍しいかと思います。

    

<納札所・御杓子殿>

  

<その他>

   

〇北前稲荷神社 越谷市北後谷

 北前稲荷神社に3基の石碑が置かれていましたが、2020年3月末に取り壊され、
 「青面金剛」「出羽三山供養塔」「不動明王」石碑は石神井神社に移されています。
 水田の中の神社でした。
 Googleストリートビューの撮影日2019年6月時点では、田んぼの中に北前稲荷神社がありました。

<更地>

     

<北前自治会館> 越谷市北後谷374-1

 北前自治会館は確認できました。

   


一乗院 越谷市三野宮618

 稲荷山一乗院と号します。北条政子が創建したと伝えられます。

     

    

(説明板)
「一乗院の建具」

 一乗院本堂の一枚板戸や欄間などの建具は、慶長15(1610)年に徳川家康により建立された神奈川御殿の解体資材が使用されています。

  

<不動明王三尊>

 参道右手に祠があり、不動明王三尊が祀られています。
 成田山と刻まれています。

   

<石塔群>

 参道左手に石塔群があります。庚申塔も4基あります。

     

      

    

<出羽三山供養塔>

 石塔群左3番目。
 正面「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」
 右「天下泰平 國土安全 五穀成就」
 左 嘉永4(1851)年の造立です。

    

   

<稲荷神社>

 一乗院手前に稲荷神社があります。
 境内右手に「子痘大権現」と「白山大権現」(嘉永3(1850)年)が祀られています。

    


袋山観音堂墓地 越谷市袋山382

    

<石碑群>

 石碑がずらりと並んでいます。ゴミ箱や水道の後ろにあるので確認しずらいです。
 ゴミ箱に「ロビンソン百貨店」(かつて春日部にありました)の文字が見えます、いつの頃のゴミ箱ですかね。

    

   

<出羽三山供養塔>

 出羽三山供養塔があります。
 「月山 湯殿山 羽黒山 供養塔」
 文化15(1818)年の造立。
 供養塔は半分地中に埋まっており、供(養塔)の供までしか見えません。

     


恩間新田路傍 越谷市恩間新田70

<出羽三山三社大権現>

 路傍に単独で1基、出羽三山三社大権現碑が建っています。
 正面「月山 湯殿山 羽黒山 三社大権現」
 右側面「天下泰平 五穀成就」嘉永2(1849)年の造立です。
 左側面「武州埼玉郡 恩間邑新田講中」

    

     


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