江戸三大広小路とは、江戸市中において、特に賑わった3つの広小路です。
・下谷広小路(上野広小路) 台東区上野
・浅草広小路 台東区浅草・雷門
・両国広小路 中央区東日本橋
雷門前の東西の通りが「浅草広小路」です。
現在は「雷門通り」と呼ばれています。
「江戸名所図会 金龍山浅草寺」
広小路部分の抜粋です。
「江戸切絵図」
江戸切絵図から広小路部分の抜粋です。
「広小路ト云」と記されています。
「東都金龍山浅草寺図」(魚屋北渓)
浅草寺の全図と広小路の抜粋です。
「あずま橋より浅草くわんおんの櫓を見ル図」(歌川国安 台東区立図書館蔵)
浅草雷門前の広小路の光景が描かれています。
遠景に東本願寺が見えます。
【明治期】
「浅草金竜山広小路馬車人力車往来之図 」(歌川国輝 明治4年 都立図書館蔵)
明治4年当時の、広小路を行く馬車と人力車が描かれています。
「浅草並木人力車の賑ひ」(昇斎一景 明治4年 台東区立図書館蔵)
手前が浅草並木町で多くの人力車が描かれ、中景が広小路、奥に仁王門と五重塔が描かれています。
四辻に「郵便」と書いた旗が立っています。その下に書状集箱がありました。
「浅草観世音境内細図」(井上安治 明治10年 都立図書館蔵)
吾妻橋から浅草観音の本堂までを描いています。
煉瓦造りの仲見世が長々と連なっています(煉瓦造りとなったのは明治18年)。
雷門前で馬車鉄道が曲がっています。
隅田川対岸の向島堤には桜花が続いています。
本図が描かれた時は、馬車鉄道が開通する5年前です。昭和35(1960)年に再建されてまだ存在しないはずの雷門も見えます。
広小路で水飲みの順番を待つ乗合馬車の列が続いています。
広小路だからでしょうが、道路の真ん中に水飲み場があるのが不思議な印象を受けます。
「浅草広小路」(井上安治 明治10年)
遠景にシルエットで東本願寺が見えます。
乗合馬車のほかに、まだ開通していないはずの鉄道馬車が存在しています。
「東京浅草金龍山並ニ鉄道馬車繁栄之図」(明治15年 歌川重清 台東区立図書館蔵)
雷門は、明治維新直前の慶応元(1865)年の火災で焼け落ちてしまい、本図ではまだ再建されていません。
鉄道馬車の線路が大きくカーブするところに参道がありますが、雷門はありません。
明治15年6月25日に、日本で最初の鉄道馬車が運行を開始しました。
初めは新橋〜日本橋間での営業でしたが、同年10月1日に日本橋〜上野〜浅草〜日本橋の環状線が竣工しました。
新橋から浅草橋経由浅草広小路までは46分、新橋から万世橋経由浅草広小路までは42分、上野広小路から浅草広小路までは16分であったといいます。
(都立図書館デジタルアーカイブの解説を参照しました。)
「東京名所 吾妻橋鉄橋之全図」(山田年忠 明治20年 台東区立図書館)
吾妻橋から広小路が描かれている部分の抜粋です。
「(帝都名所)浅草広小路雷門通り」(大正10年 台東区立図書館蔵)
大正時代の浅草広小路雷門通りです。右手手前の建物は「ちんや」です。
東京馬車鉄道は明治36(1903)年に電化され東京電車鉄道となり、
その後、明治44(1911)年に東京市電となりました。
都政施行の昭和18(1943)年に都電となりました。
市電と市電の間隔が狭く連なっていて賑わっている様子が伺えます。