○ 文化遺産調査特別展「千住宿400年」
・千住宿模型(常設展示)
(参考)
・リニューアルオープン
・特別展「千住宿400年」 本頁
・芭蕉句碑/水戸海道道標/千住新橋親柱(屋外)
・六阿弥陀道標・弘法大師道道標(屋外)
・庚申塔/馬頭観音/道標など(屋外)
・やっちゃば展示(館内)
・東郊農村など(館内)
○文化遺産調査特別展「千住宿400年」
開催期間 2025年10月21日〜2026年1月11日
写真撮影は一部を除いてOKです。
【町の伝えた文化】
<千住四丁目氷川神社山車>
千住四丁目氷川神社の山車は、足立区の指定有形民俗文化財です。
高さ7.5mの三層構造で、三層目には鼠屋五兵衛作と言われている静御前の人形が配置されています。
<掃部宿の繁栄と四神鉾>
四神鉾は、東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武の四神獣をかたどった飾り鉾です。
仲町氷川神社に伝わる四神鉾は、天保4(1833)年に奉納されたものです。
【大千住の文化遺産】
<千手観音立像 御前立/勝専寺>
千住の地名の由来となったとされる勝専寺の千手観音立像の参拝用の御前立です。
<黒漆塗仏二枚胴具足>
千住宿には、商人でありながら、帯刀を許され武士の身分も持つ「二重身分」の人々がいたことが一つの特徴で、
これを今に伝える資料の一つです。
<報知新聞 奥羽御巡幸図会 千住駅 御小休之景(三代広重)>
明治天皇陛下が明治9(1876)年、東北地方へ巡行の際、千住の行在所(現在の千住三丁目付近)までお見送りに来られた皇后陛下が、
千住の子女から菖蒲の献上を受ける様子を描いた浮世絵です。
【千住宿ー江戸四宿最大の町ー】
千住宿は、品川宿、板橋宿、内藤新宿とともに江戸四宿(五街道の初宿)の一つです。
特に宿場、市場、河岸という三つの機能が複合的に作用することで、交通・商業・物流の重要な拠点となりました。
<千住宿の成り立ち>
「大橋と開宿」「宿場の拡大」
「日光御街道千住宿日本無類楠橋杭之風景本願寺行粧之図(慶應元(1865)年 橋本貞秀 足立区立郷土博物館蔵)
徳川家康の250回忌に法会のために日光へと向かう東本門寺門跡(皇族)の一行が、千住大橋を渡っているところを描いています。
<千住の河岸>
「千住河岸」は北側を「橋戸の河岸」、南側を「熊野の河岸」という通称もありました。
<千住宿400年 年表>
「石出掃部介吉胤の肖像」も展示されています。
<宿場の商家/千住宿の職業図>
千住宿の地漉紙問屋「松屋」は、横山家の屋号です。
千住宿の職業図
・茶屋
この茶屋は千住宿の北端にありました。松風庵という名称でしたが、人々は爺ヶ茶屋と呼んでいました。
ここにあった光茶銚(足立区文化財)は、徳川吉宗が上覧し賞賛しています。
・紙屋
千住宿の紙屋でも地漉紙をはじめ諸国の紙を扱ったと考えられます。
・煙草屋
左手前の人物は茶碗の水を口に含み、葉に吹きかけています。乾燥した葉を板に巻き付ける際の破れ防止のために行っていました。
奥の人物は包丁で板に巻き付けた葉を刻んでいます。
手前の人物は木箱から刻み煙草を取り出して、量り売りを行うため秤で計量しています。
・居酒屋
居酒屋では、左上部の壁に掛かった銅製のチロリに酒を入れ、左下部の炭火を入れた燗銅壺)で燗をして客に提供していました。
燗銅壺には真中に蓋をした鍋と水が入った3か所の穴が描かれています。
・豆腐屋
豆腐屋の妻が水に浸した大豆を臼で挽いて呉汁を作り、夫は袋に入れた呉汁を絞って豆乳を抽出しています。
妻は下部にある豆乳が入った樽ににがりを入れる作業も行っています。
切り分けられた豆腐が店頭の水船に入っています。
・下駄屋
職人が錐で穴をあけた下駄の原型に鼻緒を通しています。
鉋で形を整えていきました。
・飯盛旅籠
飯盛旅籠には飯盛女(食売女)と呼ばれる遊女が置かれました。
・髪結床
千住宿には39の髪結床が確認されています。
髪結が千住宿に多い理由は、初宿としての性格と旅装を整えることと飯盛旅籠の存在が関係していると考えられます。
・鰻屋
料理人が鰻を捌き、手前にある銅製の焼台にて炭火で焼いています。
・煙草入屋
人々は煙草入れを用いて刻み煙草やキセルを携帯していました。
千住宿には2軒の煙草入屋がありました。
※上記は足立区HPを参照しました。
<名所ー堤 川 田園ー>
千住宿模型は、問屋場、貫目改所をふくむ千住一丁目を主体と南の千住掃部宿の一部を復元しています。
昭和61(1986)年の足立区立郷土博物館開館に合わせて公開されました。
平成21(2009)年の郷土博物館のリニューアルに際し、千住の資料を地元にという要望に合わせ、
北千住駅前のミルディスI番館(マルイ)10階の千住区民事務所と同フロアに移設されました。
令和7(2025)年の郷土博物館の施設改修・常設展示リニューアルに合わせ、再び郷土博物館に移設されました。
(説明板)
「千住宿のすがた
千住の宿場は南北にのびる日光道中に沿って両側に町屋が帯状に連なっていました。町並みは当初約1kmでしたが、町の発展とともに南側に家並みがのび、35年後には全長約2.3kmに及びました。河岸や市場があったことから、人口も多く、江戸最大の宿場として繁栄しました。」
(説明板)
「千住宿の模型
宿場機能の中心部、問屋場、貫目改所、一里塚があった千住一丁目南部を、1/50で復元した模型です。時代は江戸時代後期の1800〜30年代で、多くの商家が立ち並んでいます。茅葺の農家風の建物と板葺、瓦葺の町家風の建物が混在しているのが特徴です。馬寄場の近くには千住酒合戦の舞台となった飛脚問屋のただずまいもみえます。」
千住宿の模型図/模型の範囲
千住宿の模型北から南/千住宿の模型南から北
街道に沿った問屋・商店は、間口が狭く、奥行きが長い鰻の寝床です。
高札場/一里塚/千住小橋/掃部堤/問屋場/貫目改所/飛脚宿も復元されています。
千住酒合戦の舞台、中屋六右衛門方です。(足立区立郷土博物館所蔵資料データベースより引用)
貫目改所
湯屋も精巧に造られています。左下の入口には「弓矢」が見えます。
【2階】
<特集 新収蔵資料ー琳派と周辺ー>
<千住本宿の絵図ー宿場・町・農村ー>
<参考図像 近代の千住町と歴史地図>
<近代 千住町の地図>
<近代千住と其角堂の俳諧宗匠たち/北千住の俳人・岡本機柳>
岡本機柳の作品は撮影禁止となっていました。
<なつかしの街並み>
<お化け煙突>
新たに(説明板)「■解体後のお化け煙突」が掲示されました。
(説明板)
「■解体後のお化け煙突
千住火力発電所は、昭和38年(1963)に発電を停止し、煙突は翌年解体されました。その姿を惜しんだ人々によって、旧千住本宿小学校の滑り台としてその一部が生まれ変わりました。学校の統廃合によって2006年に一時期撤去されましたが、2010年4月、帝京科学大学のモニュメントして再び生まれ変わりました。」
<文化人と学術の誇り>
「森先生と潤三郎氏 明治十四年五月二十三日撮影」(「鴎外遺珠と思ひ出」森於莵、森潤三郎編 昭和8年 国立国会図書館蔵)
千住に住んだ頃の森林太郎先生と弟の潤三郎氏の写真が掲載されています。