Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 王貞治のふるさと墨田

  ○ 王貞治のふるさと墨田
  ○ 王貞治の手形と言葉(業平小学校)
  ○ 王貞治記念銘板(業平公園)
  ○ 王貞治記念碑(本所中学校)
  ○ 隅田公園少年野球場      別頁
  ○ 王貞治努力の碑(湯島天満宮) 別頁
  〇 ホームラン地蔵        別頁

 長嶋茂雄と社会貢献活動

  〇 長嶋茂雄の社会貢献活動(長嶋ボックス)
  〇 長嶋茂雄夫妻の墓(九品仏浄真寺)


王貞治のふるさと墨田 墨田区錦糸4-15-1ひがしんアリーナ(墨田区総合体育館)2階

 ひがしんアリーナ(墨田区総合体育館)の2階に「王貞治のふるさと墨田」が設置されています。
 また、錦糸野球場バックネット裏には「僕の野球の原点」碑があります。

<僕の野球の原点>

     

(プレート文)
「毎日暗くなるまで白球を追いかけていた少年時代。当時このあたりは、数箇所の球場がある野球のメッカであり、厩四ケーブハーツで大人たちに混じってプレーをしていた私の野球の原点です。この錦糸公園野球場で、野球の楽しさ、素晴らしさを体感し、そして私を追い越していく選手が育ってくれることを願っています。
  平成23年4月3日 王貞治」

   

(プレート文)
「王貞治氏は、1940年現在の墨田区八広三丁目に生まれ、柳島小学校、業平小学校に通学。幼少の頃から野球に親しみ、本所中学校時代に高校生主体の野球チーム厩四ケープハーツで活躍。早稲田実業高校野球部で甲子園優勝を経験した後、読売巨人軍に入団。「一本足打法」を修得後、生涯本塁打数868本を達成するなど、数々の前人未到の記録を打ち立てた。1980年現役引退後、巨人軍監督、福岡ダイエーホークス監督を歴任。WBC日本代表監督としても、初代世界一の王座を獲得する。2009年墨田区名誉区民第一号に選ばれる。」

  

<王貞治のふるさと墨田(ひがしんアリーナ)>

     

     

(説明板)
「このコーナーは、墨田区初の名誉区民である王貞治氏の顕彰コーナー「王貞治のふるさと墨田」で、王氏の誕生・幼少時代から高校野球を中心にその後のプロ野球時代など、時代ごとの貴重な品々と写真で軌跡をたどることができるコーナーとなっています。
 2010年3月28日、墨田区総合体育館のオープニングセレモニーが行われ、こちらの顕彰コーナーの除幕式も行いました。その除幕式では、式典に参加していただいた王氏から「僕の野球の原点は墨田にある」という大変嬉しいお話をいただきました。式典後、王氏はこちらの顕彰コーナーを見学され、直接壁にサインを書いてくださいました。この総合体育館が建っている場所は、王氏が本所中学校時代に、高校生主体の少年野球チームで活躍した錦糸公園野球場があった場所で、まさに王氏の野球人生の原点ともいえる場所です。
 2011年4月30日には、墨田区初となる人工芝の野球場、錦糸公園野球場がオープンしました。落成記念式典に参加していただいた王氏は、「墨田区からプロ野球を目指す選手、プロ野球で活躍してくれるような選手が出てくれたらいいと思う。」と話され、少年時代、野球の練習に明け暮れた場所に新しい野球場が完成したことを祝福してくださいました。始球式では、バッターボックスに入っていただいた王氏の豪快な空振りが披露されました。球場のバックネット裏には、「僕の野球の原点」という王氏の言葉を刻んだ記念碑も建っています。」

   

「王貞治の記録と足跡」

  

「ユニホーム」

   

「王貞治のゆかりの地」

  

「中華五十番使用のどんぶり」「現役使用ファーストミット」

   

「荒川博のサイン」

   

「スタジアムの歓声が、今も僕の耳に響いている。」「全員野球掴んだ世界一。それが一番嬉しかった。」

   

【その他】

「すみだ音楽大使
 新日本フィルハーモニー交響楽団
 音楽監督 佐渡裕」

  

「東京2020オリンピック競技大会ボクシング競技練習会場
 墨田区総合体育館は、2021年7月19日から8月7日まで、東京2020オリンピック競技大会 「ボクシング」 の公式練習会場となりました。
 大会直是の最終調整の場として、世界各国の選手の練習が行われました。 墨田区」

  

「東京2020オリンピック競技大会「ボクシング」の公式練習会場になりました!!
 墨田区総合体育館は、2021年7月13日から8月8日まで、東京2020オリンピック競技大会 「ボクシング」 の公式練習会場となりました。
 大会直前の最終調整の場として、世界各国の選手の練習が行われました。
 また、2021年7月24日から8月8日まで、国技館で実施された東京2020大会ボクシング競技では、日本代表選手として、男子4名と女子2名が出場し、入江聖奈選手が金メダル、並木月海選手と田中亮明選手が銅メダルを獲得するなどの大活躍しました。
 展示されているのは、東京2020大会で使用していた公式のボクシンググローブとヘッドギア、そしてメダリストへの副賞としてビクトリーブーケとともに送られた大会マスコット(ミライトワ) ぬいぐるみです。」

   

 フットサルリーグ1部「フウガドールすみだ」のホームアリーナです。

  


王貞治手形モニュメント(墨田区立業平小学校) 墨田区業平2-4-8

 業平小学校角の交差点に案内板が出ています。
 左「王貞治記念銘板」
 右「王貞治記念碑」「王貞治の手形と言葉」

    

<手形と言葉>

 王貞治氏の手形と言葉が刻まれています。

   

 「信じて進もう!」
 「開校100周年 2017年11月23日」

    

<パネル>

 「努力」と書かれた一本足打法のパネルが門内にあります。

   


業平公園 墨田区業平2-3-2

 業平公園に王貞治「野球人生の原点」記念銘板があります。

<王貞治記念銘板>

 王貞治「野球人生の原点」記念銘板があります。
 業平小学校卒業生有志により、平成26(2014)年12月の設置です。
 記念銘板の西側後方は、業平小学校です。

(銘文)
「「王貞治の野球はここから始まりました」
第二次世界大戦が終り、日本の復興が始まった頃、この小さな公園で、夢中になって三角ペースボールを楽しむ子ども達の中に、世界のホームラン王、王貞治の少年時代の姿がありました。王少年の打ったボールは、たびたび隣の小学校(旧校舎)の屋上を越えるほどの大飛球でした。野球人、王貞治の原点がここにあります。
【王貞治氏の経歴】
1940年(昭和15年)5月20日、東京市向島区(現・墨田区)生まれ。
業平小学校、本所中学校を卒業。早稲田実業学校高等部から読売巨人軍に入団し、生涯通算本塁打は860本という世界一の記録達成者。」

     

<業平公園>

     

「森の音・水の音 1996 渡辺尋志」

    

    

<は・は・は>

 GTSのモニュメントが設置されています。

     

(説明板)
「I は・は・は 2012年度制作
あれなんだ?そこまでかけっこ、「は・は・は」
おおきなはっぱだ!「は・は・は」
みんながわらうよ、「は・は・は」
でっかいきからおっこちた、でっかいはっぱは、「は・は・は」
「もし東京スカイツリーに葉っぱがあったら」をテーマに制作し、巨大な葉を造形化しました。たくさんの子供たちが走り回るこの公園で、アルミの鋳造で造られた「大きな葉」を通して立体造形の魅力や芸術の面白さを感じていただき、多くのコミュニケーションが生まれる事を期待しています。」

   


王貞治記念碑(本所中学校) 墨田区東駒形3-1-10

 本所中学校開校40周年記念の昭和62(1987)年に、王貞治氏揮毫「気力」碑が建立されています。

 「気力 王貞治」
 「墨田区立本所中学校開校40周年記念
   昭和62年3月末日」

     

<皆勤賞>

 王貞治のふるさと墨田(ひがしんアリーナ)に展示の皆勤賞です。

  


〇長嶋茂雄の社会貢献活動(長嶋ボックス)

 かつて、児童養護施設などを利用しているこどもたちを後楽園球場の巨人戦に招待する「長嶋ボックス」が、
 長嶋茂雄選手の社会福祉活動として内野席に確保されていました。
 親からプロ野球観戦に連れて行ってもらった経験などないこどもたちにとって、生まれて初めて目の前で見るプロ野球は感動ものでした。
 長嶋茂雄氏は個人で内野席を買い取ってこどもたちを招待していたのだから、こどもの福祉への関心が高かったことがうかがわれます。
 監督時代も続いていた「長嶋ボックス」ですが、いつしかなくなったようです。
 ネットで検索してもヒットしないので、招待された方々や関係者以外は、知らない事実となりつつあるようです。

 現在は、球団と巨人軍選手会により東京ドームの巨人戦に招待する「ドリームボックス」がネットでヒットします。
 内容を見ると「長嶋ボックス」を受け継いだように思えます。
 「ドリームボックス」も招待者からの評判は良いようです。

  

九品仏浄真寺(世田谷区奥沢)

 九品仏浄真寺に長嶋茂雄氏が平成19(2007)年に10月建てた、長嶋茂雄氏と亜希子夫人の墓があります。
 2025年6月3日にご逝去された長嶋茂雄氏は、生前に戒名を墓石に刻んでいました。
 九品仏浄真寺は参拝は自由ですが、墓地は関係者以外の立ち入り禁止となっているため、著名人の墓はめぐっていません。
 マスコミ報道やネット画像によると、
 墓誌には、
 「九品院殿希譽英徳聖茂雄大居士」
 「長嶋亜希子 平成十九年九月十八日 六十五才」と刻まれています。
 亜希子夫人はハワイにも分骨されています。

 九品仏浄真寺参道/総門

   

 ※デマに接して思うこと

 長嶋茂雄夫妻の4人のお子さんのうち、長女の長島有希さんについては情報がなく、ネットではデマ(噂や憶測)が流れています。
 社会福祉法人「こころみ学園」の「ココファーム」を訪問した人がブログで「毎年ゲストは勝俣さん 親善大使にもなっています。長嶋茂雄さんのお子さんも生徒に居るらしく 萩本欽一さんの甥か姪も生徒に居ます。」との書き込みを発端として(公表されていない人のことを書くのはいかがとは思います)、長女の長島有希さんが障害者とのうわさや憶測があります。
 うわさや憶測(デマ)を推察するに、立教女学院卒業後アメリカに留学していたことや、2010年まで長嶋茂雄氏の個人事務所「オフィスエヌ」の役員を務めていたことから、知的障害ではなく、高機能自閉性障害の可能性はあるかと思います。2007年に亜希子夫人が亡くなり、2010年に役員をはずして施設入所した可能性はありそうです。ブログの書き込みは2014年です。なお、一部週刊誌によると2018年死亡説があります。
 デマに接して思うことですが、どの家庭にも障害のあるこどもは生まれる可能性はあり、障害のあるお子さんのことを公表している有名人もおられれば、公表しない有名人もおられます。有名なところでは、水上勉氏は「拝啓池田総理大臣殿」を発表し、重症心身障害児施策の推進を訴えました。
 アメリカのケネディ大統領の妹、ローズマリーさんは軽度の知的障害でしたが、ロボトミー手術の結果、重度障害となりました。ケネディ大統領は就任時の一般教書で「知的障害福祉への取り組みは、明日のアメリカを開く鍵である。」と演説し、知的障害福祉施策への取り組みを推進しました。現在もケネディ財団は知的障害スポーツ大会であるスペシャルオリンピックスを推進しています。


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