○ 舎人宿跡 舎人
○ 舎人氷川神社 舎人
○ 神領堀親水緑道 舎人 別頁
○ 見沼代親水公園 古千谷・舎人 別頁
○ 浄光寺 古千谷 別頁
○ 全学寺 古千谷 別頁
○ 入谷氷川神社 入谷 別頁
○ B29のタイヤ 入谷 別頁
舎人宿の跡には、標柱があるのみです。
本殿には立派な彫刻が施されていますが、金網の外からしか見ることはできません。
(説明板)
「舎人氷川神社
当社の創建は古く、正治二年(一二○○)鎌倉時代の初期に大宮の氷川神社を勧請祭祀したと伝えられている。現在の社殿は、天保七年(一八三六)の建築で、総けやき造り、柾目の素材を集めて造営されている。唐様破風流れ造りの屋根が大きく社殿を覆っている。その特徴は社殿一面に施された彫刻美にある。向拝の両柱の昇龍・降龍、正面扉の唐獅子や牡丹、左側面の八岐の大蛇退治、裏面には天の岩戸開き、右側面には天孫降臨の様子が浮彫にされている。さらに、奥の両袖の懸崖には親子の唐獅子が彫り抜かれている。獅子は子を千仭の谷へつき落し、子は自力で谷間から這い上がるという図柄である。
舎人は江戸時代には赤山街道の宿場として栄え、「ごぼうの市」に代表される市場町としてもにぎわったところである。この文化的・経済的な背景がすぐれた彫刻を持つ社殿の建立につながったといえる。
平成元年一月 足立区教育委員会」
<弁天池>
<表忠碑>
日露戦争従軍記念碑「表忠碑」があり、揮毫は元帥伯爵・東郷平八郎・海軍大将。
元々は舎人小学校の校庭にありましたが、戦後、国から撤去するように指示があり、
個人の屋敷に移転、その後、舎人氷川神社に移転の経緯があります。
(「舎人の語り伝え」(大熊久三郎氏著)を参照しました。)