(参考)
・リニューアルオープン
・常設展(リニューアル後)
・特別展「千住宿400年」
・屋外展示(新) 当頁
・芭蕉句碑/水戸海道道標/千住新橋親柱(屋外旧)
・六阿弥陀道標・弘法大師道道標(屋外旧)
・庚申塔/馬頭観音/道標など(屋外旧)
・やっちゃば展示(屋内旧)
・東郊農村など(屋内旧)
屋外展示の庚申塔や道標、馬頭観音などです。
展示左から順に記載しています。
<用水桶> 説明なし
<庚申塔(文政年間銘)> 移設元:足立区江北2 江北橋土手下 足立区登録有形民俗文化財
下沼田村の庚申講中が文政年間に造立。覆屋に納められています。
<蓬来石/力石>
文政10(1827)年銘の蓬来石一基と力石が五基が集められています。
<正八幡宮道標> 移設元:足立区竹の塚2-9-1
増田橋(赤山道/日光道)に設置されていた道標です。別途記載
<一心講の碑> 移設元:足立区千住4-5 旧大野家庭先
富士講の一心講が昭和10(1935)年に建立。
(説明板)
「一心講の碑
もと千住四丁目5番、旧大野家庭先にあったものをここに移した。富士登山三十三度の大願成就を記念して、一心講の先達大野亀太郎のために講中が昭和10年に建てたものである。足立区は富士講が盛んで、富士塚が8基あり、多くの講中が組織されていた。現在でも区内七富士巡りなどが行われている。」
<芭蕉句碑> 移設元:足立区千住3-22 千住本氷川神社
千住本氷川神社(こちらで記載)から移設された旧「芭蕉句碑」です。
(説明板)
「芭蕉句碑
春も漸けしきととのふ月と梅 ばせを
文久3年(1863)、千住三丁目本氷川神社境内に建てられた芭蕉句碑。千住は芭蕉奥の細道の旅立ちの地でもあり、蕉門の流れをくむ巣兆が住んでいたこともあって俳諧がさかんであり、千住連衆が活躍していた。枇杷園随筆、白雄夜話によれば、芭蕉の自画讃で紅梅にこの句を讃しているという。本氷川神社に梅樹があって、芭蕉崇敬者らが建立したと考えられるが、真説は定かではない。風化が激しいため、平成3年年地元で新たに句碑を再建し、旧碑をここに保存した。」
<橋供養塔> 移設元:足立区花畑6-25
安永2(1773)年銘の大鳥神社への道にあった大鳥橋の供養塔です。
「□本廻國供□橋」
【馬頭観音二基】
<馬頭観音坐像>
<馬頭観世音石祠>
石祠型庚申塔があるように、石祠型の「馬頭観世音」です。
<六阿弥陀道標>
元禄4(1691)年銘の六阿弥陀道標です。
(正面)「六阿弥陀佛」
(同左下)「是より左江□□」
(解説板)
「六阿弥陀道標
足立姫の悲話にまつわる六阿弥陀詣は江戸時代さかんであった。六か寺を巡拝する道を六阿弥陀道と呼び、辻々にこのような道標が建てられていた。正面に「六阿弥陀佛、是より左江□□」側面に「元禄四辛未年、九月九日」とある。」
<花畑・六木の分岐点道標型庚申塔> 移設元:内匠橋 足立区登録有形民俗文化財
(こちらでも記載)
明和4(1767)年銘の「庚申講中」による道標です。
「庚申講中」が造立したので、道標型庚申塔ですか?
足立区登録有形民俗文化財には庚申塔として登録されています。
(正面)「左 棋戸道 是より千住迄 一里半」
(右面)「右 ニがう半道 是より戸ヶ崎渡場迄
廿丁」
「明和四丁亥十一月吉日庚申講中」
(説明板)
「道標
表面の風化が進行しほとんど判読できないが、側面に「右二がう半道是より戸ケ崎渡場迄廿丁」「明和四丁亥(1767)十一月吉日庚申講中」とある。花畑と六木の分岐点(内匠橋付近)に建てられていた。」
<学童集団疎開平和記念碑>
令和2(2020)年10月建立と新しい碑です。
<石臼>
<水戸海道道標> 移設元:足立区千住4-30-1
(説明板)
「水戸海道道標
もと千住四丁目30-1角、旧日光道中より分岐する旧水戸海道入口に建てられていた道標である。年代不詳だが、街道でなく海道とあり、往時の表記がわかる。現地は道幅が狭いうえ交通量も多く破損のおそれがあるので、ここに移した。」
<弘法大師道道標> 移設元:足立区江北2-9
左は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道道標です。
(正面)「弘法大師道」
(同右端)「左り 西阿ら井、是ヨリ大使江まいり 本宿まで一里十二丁」
(同左下)「(不詳)是より十八丁」
(解説板)
「その昔、岩渕領豊島村(現北区)の通称天狗の鼻といわれた地点から荒川を渡り下沼田村(現足立区)に通ずる「阿弥陀の渡し」があって、この渡し場から荒川土手を越えると西新井大師に行く道がのびていた。この道標は、その道の入口(現江北二丁目9番先)に建てられていた。「弘法大師道」「左西阿ら井、是より大師まいり、本宿まで一里十二丁」、側面「不詳是より十八丁、願主、江戸浅草駒形町 相模屋喜兵治 大和屋清左衛門 同材木町 竹屋甚兵衛 石屋又右衛門」「寛政八丙辰年(1796)二月吉日」とある。」
右は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道道標です。
(正面)「弘法大師道」
(同右上)「左り 西阿ら井」
(解説板)
「弘法大師道道標
土地区画整理に伴い、区中央図書館に持ち込まれた道標。「左り西阿ら井」「浅草駒形町 川島屋惣兵衛」「寛政八丙辰年二月吉日」とあり、左の道標と同時に建てられているのがわかる。」
<甲良屋敷山神祠跡> 移設元:足立区千住旭町10-31(千寿常東小学校内)
甲良屋敷には邸内に5つの社があったようです。
<道標> 移設元:足立区千住4-30-1
現在は新しい道標が建っているので(こちらで記載)、旧道標かと思われます。
(正面) 「旧日光街道」
(左側面)「是ヨリ旧水戸佐倉街道」
<安養院礎石> 移設元:足立区千住元町
安養院については、こちらで記載しています。
<小溜井引入口圦> 移設元:垳川
(こちらでも記載)
垳川にあった「小溜井引入口圦」が置かれています。
手前にもう一基「弥五右衛門前圦」がありますが、詳細はわかりません。
【下妻街道石碑】
<百躰庚申塔(嘉永元年銘)> 移設元:足立区青井5-1 下妻街道 足立区登録有形民俗文化財
嘉永元(1848)年銘の庚申塔(百躰庚申塔)です。二ツ谷庚申講中による造立です。
<青面金剛庚申塔(寛政十二年銘)> 移設元:足立区青井5-1 下妻街道 足立区登録有形民俗文化財
寛政12(1800)年銘の庚申塔です。二ツ谷庚申講中が造立。
<宝永三年(1706)銘道標> 移設元:足立区青井5-1 下妻街道
(こちらでも記載)
宝永3(1706)年銘の蛇体(宇賀神)を主尊とする「花又村 不動院」への道標です。
「是より□□□
花又村 不動院ヘヨシ
施主 中村□太夫」
<旧足立区立第二中学校校歌石碑> 移設元:足立区千住曙町34-12(現:東京未来大学)
昭和の俳人石田波郷が作詞した歌詞を、自筆原稿のまま刻んだ校歌碑です。
<千住新橋親柱> 移設元:足立区千住5丁目
大川町氷川神社にも千住新橋親柱が保存されています(こちらで記載)。
(説明板)
「千住新橋親柱
千住新橋は荒川放水路の開削に伴って、大正9年に着工、同13年6月に竣工した近代橋であった。その北千住側南詰に建てられていた親柱である。御影石の石柱で、北詰・南詰それぞれ2本ずつ建っていた。昭和53年、現在の新橋に架け替えられた際、取り壊され、一部ここに保管された。」
<裏門堰> 移設元:足立区西綾瀬1-8-1
「裏門堰」「大正四年三月竣工」と刻まれています。
裏門堰については、こちらで記載しています。
<蛇橋親柱> 移設元:足立区花畑8丁目2・3番〜花畑8丁目8・9番
※残念ながら撤去されました。
別途記載